Ichiro Furutachi
The LDP government's record of betrayal
自民党政権裏切りの記録
Don't destroy my hometown.

Noriko Hama
公約反故はお家芸 高市自民党千三つ政権 歴代自民党政権悪政の記録 【主催】 元・文部科学技官 石川 栄一
国民を戦争に引きずり込むのは 実に簡単だ
東京新聞の「こちら特報部」「デスクメモ」
ヒトラーの右腕だった高官が戦後の裁判でこんな趣旨の証言をしたという。
「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいい」。だまされてはいけない。

 <2013年12月14日付の朝刊>

「ヒトラーの右腕だった高官」とは、ヘルマン・ゲーリングを指しています。
ニュルンベルク裁判の際に、心理分析官のグスタフ・ギルバートに対して語ったとされる内容(「国民は常に指導者の命令に従わせることができる。……外国から攻撃されつつあると言えばよい。そして平和主義者を愛国心に欠けていると非難すればいい」という趣旨の話)が元になっています。
ヒトラー(左)とゲーリング(右) 1938年3月16日
ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング

(Hermann Wilhelm Göring、1893年‐1946年)は、ドイツの政治家、軍人。ナチ党政権下のドイツにおいて、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。国会議長、プロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四ヵ年計画全権責任者、ドイツ経済相などを歴任。軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥 (Reichsmarschall) である。
ゲーリング自身の発言

ヒトラーについて
「彼(ヒトラー)の姿を見、声を聞いた最初の瞬間から、私はぞっこん参ってしまった。」(1924年)

「私に良心などない。私の良心は、その名をアドルフ・ヒトラーという。」
「恐ろしいことだ…。ヒトラーは気が狂った。」
(1939年9月、ポーランド侵攻を起こして英仏と再度戦争状態になってしまったことについて。友人パウル・ピリ・ケルナーに語った言葉)

「私も(ヒトラーに言うべきことを言うことを)ずいぶん努力してはいるのだが、ヒトラーの前に出るといつも、私はすっかりおじけづいてしまう…。」
(ヒャルマル・シャハトに語った言葉)

「1938年の自動車事故でヒトラーが死んでいたらずっとよかったんだが…。そうすれば偉大なドイツ人として最期を迎えられただろうに…。」
(大戦末期、後妻エミーに漏らした言葉)

「ヒトラーは死んだよ。エミー。これでもう私は最後まで忠実だったと彼に伝えることはできなくなったのだ。」
(ヒトラーの自殺後、後妻エミーに漏らした言葉)

「総統に対する私の敬愛の念をことさら強調したいわけではないんだが、総統が最後に私をどう処遇されたかはキミも知っての通りだ。だが、彼は死ぬ前の一年間ほど、すべてをヒムラーに任せっきりにしてしまったんだと私は考えているんだ。」
(ニュルンベルク裁判の際、心理分析官グスタフ・ギルバートに対して)

「ヒトラーが射殺命令を出したとは思っていませんよ。あの薄汚い豚野郎のボルマンの仕業なんです。妻が私に影響を与えられることは色々とあるだろうが、私の基本的な行動規範まではどうかね。何があっても私は変わらんよ。男の世界の話だからな。女にはわからんさ。」
(「貴方の奥さんは娘エッダにまで射殺命令を出したヒトラーへ忠誠を誓うのを止めさせたいと言っていましたが。」と述べたギルバートに対して)

「忠誠の誓いをたてたからには、それを破ることはできない。(中略)一度試してみたまえ。12年間皇太子の役を演じることを。常に王に忠誠を捧げ、王の進める政治活動の多くに同意できないままに、しかし反対することもできず、その状況から最善のことをしなければならないということを。」
(グスタフ・ギルバートに語った言葉)

「たしかに、長い年月の間には、(ヒトラーの方針に)色々と承服できないこともあった。しかし1941年以降、ヒトラーには公の場以外ではほとんど会わなくなった。残虐行為があったとすれば、命じたのはヒムラーとゲッベルスに違いない。言っておくが、私は残虐行為が技術的に不可能だと思うし、可能だとしても、命じたのがヒトラーだとは思わない。ヒトラーの最期で一つだけ笑わせるのは、エヴァ・ブラウンとの感傷的な結婚式だ。御涙頂戴で芝居がかっており、いささかやり過ぎだ。あんなことは、やらずに済ませられただろうに。」
(1946年5月27日、「ヒトラーに何か賛成できなかった点は?」という質問の答え)

「ドイツ国民はヒトラーのことを『我が総統』と呼び、私のことは『ヘルマン』と呼んだ。私は常にヒトラーより国民の心に近かったのだが、ヒトラーは偉大な指導者であるから、私は全面的に彼の計画に賛同した。ヒトラーは偉大な男ではあるが、ゲッベルスのような一部の部下に裏切られて、しまいには本当の友と偽りの友の区別がつかなくなってしまった。このことを私はキミに、そして世界に知らせたい。」
(1946年5月28日)
国会へ向かうゲッベルス(中央)とゲーリング(右後) 1930年10月

ニュルンベルク裁判関連

「他国には独立国の政府を裁く権利はないと思う。しかも被告は寄せ集めの、政権の代表とは言えない者ばかりだ。私が初めて聞いたような取るに足らない者までいる。ドイツを動かしていたナチの大物の中に私を含めたのは正しいと認めよう。しかしなぜフリッチェがいるのだ? 
彼は宣伝省内に何人もいた局長の一人に過ぎない。それに何の罪も犯していないフンクのような者まで含まれている。彼は命令に従っただけであり、命令を下したのはこの私だ。さらにはカイテルも裁判を受けている。彼は陸軍元帥と呼ばれているが、ヒトラーの命令には何でも従う小物に過ぎない。

被告の中で裁判にかけられるに値する大物がいるとすれば、私、シャハト、それからヒトラーの非力な追随者に過ぎないが、たぶんリッベントロップ、またニュルンベルク法を提案したフリックぐらいだ。ひょっとすると他の数名、たとえばローゼンベルクとザイス=インクヴァルトも含めてもよいかもしれない。残りは全て手下であって自分の意思で行動することなどなかった。参謀本部の起訴もお笑い草だ。あの軍人たちは戦争遂行の謀議に加わっておらずドイツ軍人なら誰でもそうするように命令に従っただけだ。

謀議が存在したとすれば、それに関与したのはすでに死んだり行方不明になった者たちばかりだ。ヒムラー、ゲッベルス、ボルマン、それからもちろんヒトラーだ。私は常々ボルマンを粗野なやくざ者と思っていたし、ヒムラーも信用したことがない。私なら二人とも解雇していただろう。

……共同謀議に対する告発は、笑止千万だ。すべての出発点はヴェルサイユ条約にあり、ドイツが国家としての尊厳を回復するための行動をとらざるを得なくなったという事実にある。ヴァイマル共和国は失敗だったし、私はいわゆる民主主義にうんざりした。あの政治形態はアメリカではうまく機能するのかもしれない。
しかしドイツには向かない。我々ドイツ人は政治に無関心だし非常に単純なので、選挙を行えばその時々で好きな方向へ揺り動く可能性がある。そういうわけで私は指導者原理が正しいと思っている。ドイツ人はこれまでも強力な指導者を求め続けてきたし、同様にこれからもそういう指導者を必要とするだろう。」
(1946年5月28日)


―― 判決が出るまでたっぷり話す時間がありますな

「“死刑判決が出る前に”かね? 死ぬことなど何でもない。私が気にかけているのは、歴史における私の評価だ。だから私はね、デーニッツが降伏文書に署名することになったのを喜んでいるんだよ。敗北を受け入れた指導者を国民が高く評価することはあり得ないからな。死についてどう思うかって? ふん、私は12歳の頃から死を恐れたことはないんだよ。」
(アメリカ陸軍心理分析官グスタフ・ギルバート大尉に対して)

「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に曝したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それは分かっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」
―― 一つだけ違いがある。民主主義体制では国民は代表を通じて意見出来るしアメリカでは議会だけが宣戦する権利がある。

「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
(同じくギルバート心理分析官に対して、1946年4月18日)


「いったん政権についてからはいかなる状況の下でもこの政権を守り通そうと決意しました。選挙や議会内で多数を占められるか、などにいちいち左右されたくなかったのです。」(裁判において)
「ある人種が他の人種に対して支配民族と自称する事に対し、私が同意を表明したことは一度もありません。そうではなくて、私は人種の相違を強調しただけです。」(裁判において)
「人は誰でも死ななければならない。だが殉教者として死ぬということは不死になるということだ。キミたちは我らの遺骨を、いつの日か大理石の柩に納めることになるだろう。」(通訳の一人に対して)

「私には、アメリカ合衆国が自らの戦時動員計画を事前に出版したという記憶はありませんね。」(法廷で、主任検事ロバート・ジャクソンの尋問「ラインラントの再武装計画を外国に隠していたのではないか」に対して。この供述にジャクソンは激しく狼狽した)


―― ドイツ軍は交戦規定を守っていたか

「ジュネーブ協定やハーグ協定と言った条約は、近代戦争によって踏みにじられました。私は、ここで、我々にとって最大かつ最強で、もっとも重要な敵対者の言葉を引きたいと思います。イギリスのウィンストン・チャーチル首相はこういいました――『生死をかけた戦いでは、結局のところ、法律は存在しない』。」
(裁判で。この供述に焦ったジェフリー・ローレンス裁判長は休廷を宣言した)

「検察側は、上位者への黙従を強制する階層構造が、アウシュヴィッツやマウトハウゼンなどの絶滅収容所を産み出したと主張しています。しかし『指導者原理(フューラープリンツイプ)』は手堅い管理手法であるにすぎません。権限は上から下へ渡され、責任は下から上へと至るのです。こうした考え方はナチ党だけのものでしょうか。同様の例をあげたいと思います。指導者原理は、カトリック教会とソ連政府が基盤においている原則と同じものなのであります。」
(裁判で。ゲーリングはこの供述と共にソ連検察の方を向いてうなずいた)

「ドイツ国家元帥が絞首刑になるわけにはいかない。そんなことはドイツのために許すことはできない。ゆえに私は偉大なるカルタゴの勇将ハンニバルのやり方で、死を選ぶ。(中略)私の身体検査にあたった者を責めるべきではない。なぜならカプセルは事実上発見不可能だったからだ。もし発見されたとしてもそれは単なる偶然だっただろう。追伸、ギルバート博士こそ処刑方法を銃殺刑にしてくれという私の嘆願が却下されたとわざわざ伝えにきてくれた人である」
(遺書より)
(出典)Wikiquote - ウィキクォート
ジャーナリズムを拒絶・否定する反民主政治
右翼研究その二十二<本澤二郎の「日本の風景」(2512)
(写真)Facebook

ジャーナリズムを拒絶・否定する反民主政治

 5年前を思い出してほしい。安倍内閣が発足すると、まもなく公共放送、公正・客観報道を旨としてきたNHKで、最高責任者の会長が、三井財閥出身者に代わった。以後、NHKから権力に屈しない、本来のジャーナリズムが消えた。

 朝日新聞の誤報が表面化すると、他のメディアを総動員して、とことん叩きまくって、それまでの「日本の高級紙」を封じ込めて、読売化してしまった。右翼政権は、権力に屈しないジャーナリズムを拒絶する、否定する、そうして権力維持と継続を実現し、平和憲法を冒涜・暴走する。これほどの言論弾圧は、戦前はともかく、戦後に前例がない。戦前の軍国主義レベルであろう。


宇都宮徳馬の口癖 「権力に屈するな!」

 筆者は、平和軍縮派の宇都宮徳馬に師事する機会が多かった。彼の口から飛び出す言葉は、決まって「権力に屈するな」であった。耳にタコが出来たほど聞かされた。

 このおかげで、権力に屈しないことが、ジャーナリストの道であることを、強く認識することが出来た、といえるかもしれない。ありふれた新聞人が、政府や右翼に懐柔されることなく、ここまで来れたのは、ひとえに宇都宮の日頃の薫陶による。

 人間は、人生の過程で、いい人に出会えるかどうか、が鍵である。その人間の価値を決める要素かもしれない。その点で、筆者は幸せなジャーナリストといえる。

 読売のナベツネのことを教えてくれた政治家が、宇都宮その人だったが、それはナベツネを読売に押し込んだ人物が宇都宮だったためだ。彼の教えに真っ向から反した、かつての愛弟子を、晩年の宇都宮は「忘恩の徒」と斬って捨てた。

 権力を監視しないメディアは、もはやジャーナリズムではない。ジャーナリストでもない。夕刊紙「日刊ゲンダイ」がひとりジャーナリズムとして、列島で昂然と気を吐いている現状である。

 日本特有の右翼政権の怖いところは、あらゆる手段で、権力に屈するメディア・言論人に変身させることにある。主権在民を否定する戦前の天皇制国家主義なのだ。


宇都宮 徳馬(うつのみや とくま)1906年9月24日 - 2000年7月1日
日本の政治家、実業家。ミノファーゲン製薬創設者。正三位勲一等。参議院議員(2期)、衆議院議員(10期)、日中友好協会会長・名誉会長、日本北アフリカ協会会長を務めた。父は陸軍大将、朝鮮軍司令官を務めた宇都宮太郎。
(出典)Wikipedia
来歴・人物


大学の講座を排除して教師首

 筆者も、直接、その被害者となってしまったが、それは自慢するわけではないが、筆者をジャーナリストであるとの裏付けをしてくれたようなものである。

 筆者を二松学舎大学国際政治学部の非常勤講師に推薦してくれたのは、読売の元政治部長の多田実である。彼とは中央大学の先輩後輩の関係にある。多田は、ナベツネの前の政治部長で、リベラル・平和主義の三木派と親しかった。対して、ナベツネは大野伴睦と中曽根康弘、そして児玉誉士夫の右翼・国家主義人脈である。

 先輩は「現代マスコミ研究」の講座を、筆者に任せてくれた。数年後に教授にしたいという、彼の希望もあった。この講座の引き受けると、人気は急浮上、学部の中で一番学生が集まった。希望者が200人、300人と殺到して、大きな階段教室を使わねばならなかった。
 ところが、3年をまじかに控えて、突然、この講座が消えて、お役御免となった。政界の右翼議員が、文科省に圧力をかけたのだ。今の大学は、政府の私学助成金という血税で経営している。文科省に狙われたら、大学の椅子はすぐになくなる。学問の自由もない。そのことを、まざまざと体験させられたのだ。

 いまようやくにして、文科省の天下り組織が露見して、国民を驚かせているが、彼らは大学の人事権さえも壟断する力を持っている。大学は文科省の官僚ににらまれると、廃校するしかないのだ。こうした事実も、自ら体験して理解できる。
 学問の自由のない日本の大学は、かなり厳しい事態に置かれているといえる。


糧道を絶つ野蛮な手口

 二松学舎の講座を担当した最初の年は、97年4月である。3年続いてのだが、息子の医療事故も起きていて、仕事に意欲を無くしていたころである。学問の自由の侵害に対して、当時は対抗する気力もなかった。

 そのころ、右翼政治批判を取り扱った著書は「小選挙区制は腐敗を生む」「誰も書かないPKOの正体」(いずれもエール出版)が93年、96年には「天皇の官僚」「中国の大警告」(いずれもデータハウス)。

 98年に「台湾ロビー」(データハウス)を出版した。「天皇の官僚」を発表した時は、身辺に注意するようにとの声が、各方面から出たものである。
 右翼のジャーナリスト弾圧の手口は、まずは糧道を絶つことである。


内外情勢調査会講師も

 筆者が政治評論家にデビューした時、1冊の本を書いて、日本記者クラブで出版会を開いた。当時の在京政治部長会に中央大学OBがたくさんいた。読売・テレビ朝日・北海道新聞・ニッポン放送の政治部長らである。

 彼らのお陰で、在京政治部長会の全員が発起人になってくれたため、盛大に出版会をすることが出来た。当時の首相も中央OBの海部俊樹だった。時事通信の政治部長は、内外情勢調査会の講師を用意してくれた。

 ここを舞台に、全国を歩きながら政局講演をする機会を得た。文教族だった海部は、嘉悦女子短期大学の講師に推薦してくれた。ここでも3年間、楽しい時間を過ごすことが出来た。1か月数回の政局講演も、二松学舎の講座が無くなるころ、事務局からの依頼が無くなった。



自民党の講演も

 恐らくは、継続しての自民党平河クラブの在任期間は、在京政治部長会と同様に記録的に長がった。その関係で、自民党本部職員との付き合いも長く、この線から政治評論家になる、全国の地方支部との会合での講演依頼が多くあった。これも生活安定に貢献してくれたのだが、いつの間にか、講演依頼が無くなった。

 大学と講演などで、結構楽しく仕事をすることが出来た。このことは感謝したい。しかし、収入が無くなると、人間は生きられない。生活保護を受けるしかなくなる。家族・家庭持ちにとって深刻きわまりない。

 既に、頼みの綱の宇都宮はいない。だが、幸運なことに年金が、わずかだが生活を保障してくれた。もし、年金が入らなければ、右翼に屈服するしかなかったのか。考えると、いやになるので、考えないことにしている。
 それゆえに、ペンを折らずに生きている。宇都宮の叫びを、今も、これからも、実践できる。精神的に楽である。


政府自民党にもブラックリスト?

 思うに、自民党大会を繰り返し見聞してきた。招待状が届くので、話のタネになると判断して、よく日比谷公会堂に行ったものである。それが、急に来なくなった。思い出すと、森が小渕内閣の自民党幹事長のころである。

 別に行っても、行かなくてもいい自民党大会である。どうでもいいことだが、やはり多少は気になる。このころから、自民党擁護する人物と批判的な言論人を区別、批判的なものは排除する、つまりはそのためのブラックリストが作成されたのかもしれない。

 韓国では、政府批判者のブラックリスト作成で、職務を失っている朴大統領が、法廷に立たされている。右翼政権の政府与党も、同じことをしている可能性が高い。ジャーナリストであり続けることは、これでなかなか容易ではない。ただし、無冠の帝王になれる!

本澤二郎(ほんざわ じろう)政治評論家(ジャーナリスト)。
 1942年千葉県生まれ、66年中央大学法学部法律学科卒業。東京タイムズ政治部長8年9カ月(在京政治部長会の最長記録)。同編集局次長を経て、90年秋から政治評論活動に入る。91-94年3月まで嘉悦女子短期大学講師。97年4月から3年間二松学舎大学講師。06年10月から2年間、中国・同済大学アジア太平洋センター顧問研究員。現在、日本記者クラブ会員、日中平和交流21代表。
■主な著作: 純ちゃん、間違ってませんか?―人気首相の仮面を剥ぐ(データハウス、2001)、マスコミがふたをする大中国の真実(データハウス、1999)、台湾ロビー(データハウス、1998)、中国の大警告(データハウス、1996)、中国の熱風(データハウス、1994)


【出典】政治評論家・日本記者クラブ会員 2017年2月10日

出典:政治評論家・日本記者クラブ会員 2017年2月10日


安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、 産経もトンデモ神武本出版!  神話で国民を支配するカルト国家化
神武天皇 - Wikipedia
神武天皇は、日本の初代天皇とされる神話・伝説上の人物
(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)

安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、 産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化   LITERA 2016.11.17

 とうとう、ここまできたか──。日に日にエスカレートしていく安倍政権の歴史修正主義だが、いよいよ連中は「神武天皇は実在した」なるトンデモまで喧伝しだしたらしい。
 念のため最初に言っておくと、神武天皇は8世紀の「古事記」「日本書紀」(あわせて記紀という)を基にした“初代天皇”だが、もちろん実在したとは立証されておらず、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ。

 ところが最近、安倍政権周辺から「神武天皇は実在の人物でその建国の業績を讃えるべき」という主張が次々飛び出してきているのだ。

 自民党の三原じゅん子参院議員が、先の参院選投開票日のテレビ東京の選挙特番で、VTR取材中に「神武天皇の建国からの歴史を受け入れた憲法を作りたい」と発言していたことについて、MCの池上彰から神武天皇は実在の人物だったとの認識かを問われ、「そうですね。そういう風に思ってもいいのではないか」と“珍回答”。

 池上が呆れて「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物ということになってますが?」とツッコんだのは記憶に新しい。
 このトンデモ発言にはさすがの有権者も「まあ、三原じゅん子だから」と一笑に付したが、しかし、どうもこの神武天皇実在論は、安倍政権の中枢にしかと根付いているようだ。

 たとえば今月、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称すべしとの運動を展開している「明治の日推進協議会」なる団体が都内で決起集会を行った。同団体の役員名簿には小田村四郎、小堀桂一郎、大原康男、伊藤哲夫、百地章など、おなじみの日本会議系人物がちらつく。

 その集会に、安倍首相の盟友である古屋圭司自民党選対委員長、稲田朋美防衛相らが参加。稲田は壇上でこう息巻いたという。「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」(朝日新聞11月2日付)

 ……おいおいマジかよ?と突っ込まざるをえないが、この安倍政権の神武天皇ゴリ推しを“機関紙”の産経新聞もバックアップしている。
 今年8月には『神武天皇はたしかに存在した』(産経新聞取材班/産経新聞出版)なる書籍を出版。記紀にある日向(現在の宮崎県)から大和(奈良県)までの「神武東征」を追いかけるルポだが、完全に神武実在が前提になっており、置いてけぼり感満載の一冊に仕上がっている。

日本書紀 - Wikipedia
日本書紀は史料批判上の見地から信憑性に疑問符がつく記述をいくつか含んでいる。
 しかし、繰り返すが、神武天皇について直接的に伝えるのは記紀だけであり、その記述は完全に“神話”の域を出ないものだ。
 たとえば「日本書紀」の記述は天地開闢から始まる神武以前が神代、神武以降が人世の歴史とされているが、明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年とした。実に縄文時代後期である。

 そんな、人々はもっぱら狩猟採集生活で文化といえば土器みたいな時代に、神武天皇は「天下を治めるためには東に行けばいいんじゃないか」と思いついて、大和までの長い旅に出たというのだが、記紀が描く道中の出来事はあからさまに現実味がない。
 たとえば、亀の甲羅に乗った釣り人(地元の神)に明石海峡から浪速までの海路を案内してもらったり、突如、助っ人が神のお告げで天の神がつくった剣を持ってきてくれたり、かと思えば神の仰せで八咫烏が吉野まで先導してくれたり、はたまた天の神がやってきて証拠の宝物を見せて神武に仕えたりと、「史実」とみなすには神がかり過ぎている。

 さらにいえば、神武を含む古代天皇の年齢も解釈に苦しむ。たとえば「日本書紀」によれば、神武天皇崩御時の年齢は127歳で、「古事記」では137歳とある。そんな超長寿なんてありえないだろう。年齢を2で割ると丁度良くなるとする説もあるが、すると逆に皇紀自体がおかしくなってくる。

なお、初代天皇となった神武の後を継いだ綏靖天皇から開化天皇までの8人については、なぜか、その実績がほとんど記されていない。この「欠史八代」はあまりにも有名な記紀の謎として知られている。

 結局のところ、神武天皇及び欠史八代は創作で“虚構の天皇”だとするのが一般的な古代史研究者の見解である。
では、なぜ安倍政権はいま、こんな神武天皇実在説というトンデモを言いふらしているのか。 その目的を、前述した稲田朋美の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉が、端的に表している。

 実は、神武天皇の陵墓は、たとえば天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成はほぼない。それが一転、江戸中期の国学を経て尊皇思想の核となり、明治維新は王政復古の建前のもと幕府を転覆させた。ようは、“クーデター”のため「万世一系」たる天皇の権威を超越的なものとして再興し、利用したのだ。

日本の三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)正殿の画像。Wikipedia

 また、このとき明治政府は、それまで民間信仰であった神道を天皇崇拝のイデオロギーとして伊勢神宮を頂点に序列化、“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想を敷衍した。そうした流れのなかで、日本書紀などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている(佐藤卓己『物語 岩波書店百年史』2巻/岩波書店)。

 一方、1945年の敗戦後にGHQが神道指令を発布、国家と神社神道の完全な分離を命じると、津田の学説は学会の主流派となり実証主義的な記紀研究が活性化。その蓄積を踏まえ、今日では神武天皇は実在しないというのが定説となっているわけだが、これを面白く思わないのが日本会議ら極右界隈と、それに支えられる安倍政権だ。

 彼らにとって天皇は「万世一系」でなければならない。それは前述のとおり、日本を万邦無比の「神国」とし、天皇を超越的な存在として再び支配イデオロギーの頂点に置いて政治利用するために他ならない。だからこそ、記紀は史実であり、神武天皇は実在すると主張するのだ。

 すると必然的に、神武天皇は記紀にあるように神話的でありながら同時に存在を認めるという、矛盾めいたことになる。
三原じゅん子が「神話の世界の話であったとしても、そう(実在したと)いう考えであってもいいと思う」と池上彰に応答したのはまさに典型だ。
ようは政治的な目的ありき。だからこういう発言になる。

 事実、安倍晋三は下野時の2012年、民主党(当時)による女性宮家創設議論および皇室典範改正に反対し、こう述べていた。「私たちの先祖が紡いできた歴史が、一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室であろう」「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(「文藝春秋」12年2月)

 見ての通り、立憲主義もクソもない。こんな人間がいま日本の総理であることにあらためて戦慄するが、一方、安倍のブレーンである八木秀次が天皇・皇后の護憲発言に対して「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」と猛批判したように、実際には、安倍は天皇に対する敬愛などほとんどもっていない。そこにあるのは、天皇の政治利用、もっと言えば、皇国史観と「万世一系」イデオロギーの復活による大衆支配の欲望だけだ。

 そう考えてみてもやはり、わたしたちは表出する神武天皇実在論を笑って済ませておくわけにはいかない。戦前回帰を目論む安倍政権のプロパガンダの一種として、十分に警戒しておく必要がある。
(宮島みつや)

【出典】LITERA 2016.11.17

出典:LITERA 2016.11.17



自民党のネット応援部隊が「植松容疑者の主張は間違ってない」 「障がい者は死んだほうがいい」と障がい者ヘイト!
(写真)ロイター/アフロ

自民党のネット応援部隊が「植松容疑者の主張は間違ってない」 「障がい者は死んだほうがいい」と障がい者ヘイト! LITERA 2016.07.30

■ネットで広がる「植松容疑者の主張はわかる」の声

 神奈川県・相模原で発生した障がい者大量殺害事件について、本サイトではその背景に、ヘイトスピーチなど排外主義の蔓延や、自民党による弱者切り捨て政策の影響があると指摘してきた。すると案の定、ネット右翼からは「ジミン叩ければあんな悲惨な事件でも利用するのか」「左翼はなんでも体制批判の道具にするからクソ」「さすが糞アカヒのリテラ」などという反応が寄せられた。

 であれば、あらためて事実を確認しておこう。報道によれば植松聖容疑者は「障害者は死んだ方がいい」「何人殺せば税金が浮く」などと主張していたとされるが、いま、ツイッター上ではその主張に同調する声が広がっている。

〈そうやってみんなすぐ植松容疑者が異常だと言い張るけど行動がよくなかっただけで言ってることは正論だと思う〉
〈植松の言ってることはこれからの日本を考えるとあながち間違ってはいない〉
〈穀潰しして連中に使われる予定だった税金を節約して、国の役にたったよ彼は。弱いものって誰? 精神障害者はどんなに暴力や暴言はいても罪に問われない無敵の強者だよ?〉
 しかも、これは複数のアカウントによる発言だが、彼らは〈自民と公明が勝ってるのみるとマジでせいせいする〉〈安倍総理を応援してる自分がいる〉〈【拡散】安倍晋三に総理大臣を辞めて欲しくないと思う人はRT〉などともツイートしている。こうした障がい者ヘイトを垂れ流している連中の多くが自民党支持者、あるいは安倍政権が醸成させている空気を身にまとっていることは、もはや疑う余地がない事実なのだ。

(写真)ANN NEWS

■自民党ネトサポ会員が「植松の言うように障害者はいなくなるべき」

 さらに、「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる」という副題のついたあるブログが、事件後、「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」なるタイトルの文章を公開していることも確認できる。自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC、通称ネトサポ)とは自民党公認のネットボランティア組織。政策ビラ配りやネットでの世論工作などを担当する部隊で、安倍首相はその最高顧問のひとりに名を連ねている。

 その“自民党のネット別動部隊”の会員を自称する人間のブログが、植松容疑者の“虐殺思想”に共鳴している事実は重い。まず、このネトサポは、植松容疑者が「障がい者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしていることについて、〈植松の言葉自体には実は聞く価値のある部分もある。

 それは「障害者は邪魔である」という観点だ〉と書いている。以下、吐き気をもよおす障がい者差別やジェノサイドの扇動が続く。紹介するのもためらわれるが、コアな自民党支持層がどのようなことを考えているのか確認するためにも、このネトサポの文章をそのまま引用する。

〈考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。
 この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。〉

 要約するまでもない。「自爆テロ要員としてしか使え」ず、「いなくなる」ことが「国家に対する重大な貢献」などとのたまうこのネトサポは、障がいをもつ人たちが「生きる」ことを、直裁的に否定しているのだ。


■石田純一や野田聖子にも「障害者の子ども殺せ」と迫るネトサポ

 しかもこのネトサポは、植松容疑者の供述ににわかに感化された結果、“障がい者抹殺思想”をさらけ出しているわけではない。事件前の投稿でも、障がい者やその家族に対するヘイトをぶちまけているのだ。たとえば、7月9日にはタレント・石田純一の都知事選立候補の意向の報を受けて、〈もしも都知事になりたいならばまずは自分の子を死なせてからにするのが筋であろう〉と書いている。

〈石田には東尾理子との間に子供が1人いるが、そいつはダウン症である。つまり育てるのにカネがかかる。東京都知事は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない。だからこそ無駄遣い以外の何物でもない子供は死なせるべきなんだ。無駄な医療費を使わなくて済むのだからこれは国家に対する重大な貢献となる。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない。〉

 念のため言っておくが「石田純一と東尾理子の子はダウン症」というのはデマだ。いずれにせよ、この自民党支持者の“障がい者は税金の無駄遣いだから殺すべき”という考え方は、かなり根深いものがある。7月19日には、野田聖子衆議院議員についても、〈絶対に総理にしてはならない人物だ。その理由は野田の子どもの存在である〉などと述べている。
〈野田議員の子どもは重い障害をもっており、1年で9回の手術を受け、脳梗塞になり産まれてからずっと入院、人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺があるという体たらくである。当然この子供にかかる費用はバカにならない。総理大臣として意味のない支出は実に致命的だ。国会議員は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけないのだ。

 だからこそ野田は総理大臣になりたければ、無駄遣い以外の何物でもない子供の治療を即刻辞めるべきでなのだ。もちろん死んでしまうが無駄な医療費を使わなくて済む。これこそ総理大臣に求められる国家観なのだ。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけないのだ。〉(原文ママ)

 なお、この投稿の冒頭で、野田氏が安倍首相の総裁任期延長をけん制する発言を行ったことに対して、〈1議員の分際で自民党にたてつく発言をしてのである。大変許しがたい〉(原文ママ)としていることから、このネトサポは、熱烈な安倍晋三シンパと見るべきだろう(ちなみに、このブログの「愛国リンク集」には安倍首相の公式HPがリンクされている)。

ヘイト暴力のピラミッド図 (出典)Brian Levin, Anti-Defamation League 

■自民党支持者が障がい者排除の根拠にしているのは自民改憲案

 さらに2013年9月3日にも、同様に野田氏に関して〈自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない〉と述べているのだが、注目すべきは、その投稿がこのように結ばれていたことだ。

〈こういう自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいである。自由を謳い、権利を行使しなくてよいという天賦人権論が日本人を堕落させたのである。だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出したのである。この憲法が通れば国民の血税を使っても他人に対する感謝の心を持てるようになる。

 自民党は野田議員と改憲案の矛盾を解消するために野田議員に子供の延命治療を中止するよう勧告するべきだ。どうせこのまま生きていても長生きはできないし、治療費がさらにかさんで国民が迷惑を被るだけである。それよりも子供なんかさっさと死なして日本のために死んだと持ち上げたほうが自民党の勝利に貢献することになる。だから野田議員は決断をするべきである。母親としてよりも国家公務員としての立場が優先されるのは当然なのだから。〉

 ある意味でこのネトサポが述べていることは“正しい”。もちろん「子供なんかさっさと死なして」などという、どうかしているとしか思えない主張のことではない。いささか逆説的だが、この暴論は、自民党が2012年に発表した改憲草案の本質を、的確に説明しているのである。

 いうまでもなく、天賦人権説とは、すべて人間は生まれながら自由にして平等であり、誰もが幸福を追求する権利をもつというもの。日本国憲法のいわゆる三大原理のひとつ「基本的人権の尊重」の根底をなす思想だ。しかし、自民党改憲草案では、起草委員である片山さつき参院議員が〈天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です〉(片山氏ツイッターより)と発言しているように、これをすべての人間から剥奪すべく企図されている。

 事実、自民党改憲草案は、個人の権利に対して〈責任及び義務が伴う〉と強調し、現行憲法が個人の権利利用の目的や幸福追求の条件として付す《公共の福祉》を軒並み〈公益及び公の秩序〉なる文言にすげ替えている(草案12、13、29条)。

 上述のネトサポが障がいを持つ人間を「死なせるべき」なのが「国家に対する重大な貢献」であると繰り返すのは、まさにこの《公共の福祉》から〈公益及び公の秩序〉への変更の本質をつく解釈だろう。その意味において、このネトサポが述べる“障がい者の存在は、自民党憲法草案と「矛盾」する”というのは、まったく正しい認識と言わざるをえない。
 言い換えれば、このコアな安倍支持者は、“すべての人間が平等に有す権利を剥奪し、国家の元に人権を制限すべき”という自民党改憲草案のストレートな体現者なのである。
 そして、今、安倍首相の周りにいる自民党の極右政治家たちも、直接、口には出さないものの、おそらく、このネトサポと同じく「障がい者や役に立たない老人はいなくなった方が国家のためである」くらいのことは考えているはずだ。

 実際、石原慎太郎や石原伸晃、麻生太郎らは、過去に障がい者や高齢者に対して安楽死を口にしたり、「いつまで生きているつもりなのか」などといった暴言をはいてきた。植松容疑者、それに同調して「障がい者は死なせろ」と叫ぶネトサポ、そして障がい者を邪魔者扱いする自民党の極右政治家……この三者は完全に同一線上にいる。そのことを指摘することのどこが「政治利用」なのか。

レイシストのデモ

■事件を利用して人権を制限しようとする自民党の政治家たち

 ネット右翼たちは「左翼はなんでも体制批判に結びつける」「相模原の事件を政治利用している」などとほざくが、これは完全に逆だろう。実に、自民党はこの大量殺害事件を受けて、早くも人権否定の思想を法で具体化させる意向を示している。

 28日、元参院副議長の自民党・山東昭子参院議員が、今回の事件に関して“犯罪を犯した人間や示唆をした人間にはGPSを埋め込んで把握するようなことを考えるべき”との趣旨を記者団に伝えた。その上で、山東氏はこのように発言している。

「人権という問題を原点から見つめ直すときが来ている。ストーカーもそうだが、人権という美名の下に犯罪が横行している」(毎日新聞7月29日付より)
 何度でも言うが、上のネトサポによる“障がい者抹殺思想”も、山東氏の“人権白紙化発言”も、まさに今の自民党の本質を表したものだ。

 しかもこれは、ひとりのラディカルなネット右翼による戯言や、いち自民党議員の暴言では決して片付けることはできないだろう。実際、前述したネトサポの野田聖子氏に対する投稿には7000を超える「いいね!」がついている。

 また、テレビメディアなどのマスコミは、この障がい者大量殺害事件の容疑者の供述にネットでこれだけ賛同の声があがっている現実を無視して、「植松容疑者の心の闇」などとごまかし続けている。そして当然のように、この機に乗じた山東氏のトンデモ発言についても、まったく追及するそぶりを見せていない。

 一部の冷笑主義者は「言うほど日本は右傾化していない」「左翼の妄想」などと呑気なことをのたまっているが、いい加減に気がつくべきだろう。私たちはいま、こうした“弱者抹殺発言”や“人権白紙化発言”が許容され、しかも多くの共感まで得られている社会を生きているのだ。もはや「右傾化」どころではない。その異常性に真剣に向き合わなければ、この国は本当に後戻りできないところまでいってしまうだろう。
(梶田陽介)

【出典】 LITERA 2016.07.30

出典: LITERA 2016.07.30



瀬戸内寂聴がさらに激烈安倍批判
瀬戸内寂聴が安倍支持ネトウヨの攻撃にも怯まずさらに激烈批判! 「安倍首相は世界の恥」「悪名が歴史に残る」
瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴が安倍支持ネトウヨの攻撃にも怯まずさらに激烈批判! 「安倍首相は世界の恥」「悪名が歴史に残る」  LITERA 2015.07.22

 安保法制が衆院で強行採決されたが、それでもなおこの“戦争法案”に反対する声は日に日に高まっている。だが一方で、戦争反対、集団的自衛権反対を表明する著名人たちへの誹謗中傷やバッシングが巻き起こるという卑劣な事態も同時に起こっている。

 先日もタレントSHELLYがツイッターで強行採決について疑問をつぶやき大炎上した。また胆のうがんなどを患い満身創痍の体調ながら度々デモや集会に参加している作家の瀬戸内寂聴も、「ババアは死ね!」「戦争反対というなら中国に言え!」などと批判を浴びせられた。挙げ句は「不倫していたくせに」「金をもらって集会に出ている」という聞くに堪えない誹謗中傷さえ飛び出す始末。

 しかし瀬戸内がこんなことで怯むわけがない。最近になってもますますその活動、舌鋒鋭く安倍政権と安保法案の大批判を展開している。
 今週発売の「女性自身」(光文社)8月4日号では「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥です」と題し、こう語った。

「安倍晋三首相と、与党議員たちが強行採決した安保法案は、日本国民を世界中で死なせ、家族を不幸にし、国まで滅ぼすものだと思います」
「これだけ国民に反対されていることを自覚しながら、“戦争法案”を押し通した安倍首相の神経は理解しがたいですね」

 安保法制に反対する作家、有名人の中でも、ここまで強い調子で安倍首相を非難できる人間はそう多くないだろう。そして、瀬戸内はこう言い切った。
「多くの国民が安保法案に反対したという事実、そして安倍首相と政府与党がどれだけ横暴なことをしたのかという事実は、歴史に刻まれます」

 瀬戸内はこの「女性自身」のインタビューに答える少し前、7月10日にも京都の寂庵で定例説法を開いているが、ここでも「可愛い息子や孫が戦争に連れて行かれ、行けば殺さないと殺される。沢山殺せば褒められる」、それが戦争というものの実態だと訴え、そしてこう断言した。
「安倍首相がいかに悪い政治家だったか歴史に残る」

瀬戸内寂聴

 ネットでは、こうした発言について今も「単なる妄想」「なぜそこまで妄想できるのに中国が戦争始める妄想はしないのか不思議」という声が浴びせられているが、これは妄想ではない。

 現在93歳の瀬戸内は青春期に戦争を体験している。大学1年生の時に真珠湾攻撃があり、普通の国民のように、「東洋の平和を守るため」という言葉を信じ、大きな感激を覚えたという。

 だが、その2年後、瀬戸内は結婚して北京に移り、そこで日本人が中国人を抑圧している様を目の当たりにし、戦争に疑問を感じ始めたのだ。そして敗戦を迎え、苦労して日本に引き揚げてみると、故郷の徳島は焼け野原、母や祖父は亡くなっていた。

 こういう体験が「戦争にはいい戦争も悪い戦争もない」という言葉につながっている。瀬戸内は先の「女性自身」のインタビューでこんなことも語っている。
「(7月15日のデモで)必死に声を上げる彼らを見て、私が連想したのは、昭和18年10月に行われた神宮外苑競技場で行われた学徒動員出陣の壮行会です」

 この壮行会は戦場に赴く2万5千人の学生と、5万人の女子学生らが集まり、「海行かば」を大合唱して見送ったというものだ。デモを見ながら、その光景がオーバーラップするというのは、彼ら安保法制に反対する若者までが安倍首相の戦争政策に呑み込まれてしまうという恐怖をリアルに感じているからだろう。
 この言葉を我々は真剣に受け止める必要がある。
(伊勢崎馨) 

【出典】 LITERA 2015.07.22

出典: LITERA 2015.07.22


浜矩子氏が警鐘 「EUショックはコストカットの口実に」
浜矩子同志社大大学院教授

浜矩子氏が警鐘 「EUショックはコストカットの口実に」 日刊ゲンダイ 2016年7月5日


 日本企業の多くは、「欧州の玄関口」である英国に進出しても、奥の間の大陸欧州に上がろうとはしませんでした。理念とレトリックを並べ立てる大陸よりも、成り行き任せで実利を求める英国の方が、ビジネスをしやすかったからです。EU離脱が決まったといっても、生産活動の拠点を構える日本企業が押っ取り刀で逃げ出すことはないでしょう。

 大陸側に新たな拠点をつくるのもコストがかかります。日本人スタッフを送り込み、現地スタッフもかき集めなければなりません。相当な手間がかかるし、リスクだって大きい。それよりも、離脱に伴う英国の制度変更に細かく対応していく方が現実的です。

 外国企業に出ていかれると困る英国は、出血大サービスをするはず。それこそEUの縛りが解かれたので、自由に引き留め策を講じられます。日本企業が大きなダメージを受けるような姿は想像しにくいですね。

 それでも日本で暮らす人たちの生活は影響を受けるでしょう。少しでも理由が見つかればコストを削ろうとしている人たちからすれば、今回の事態は格好の口実になります。「こんな状況では賃金を上げるのが難しい」と言ったり、本当は10人が必要なのに「とりあえず5人で」と判断したりするケースも出てきそうです。雇用環境の悪化は避けられません。中小企業も無理難題を突き付けられかねない。しわ寄せは、いつも弱いところになりますからね。


■「びびった雰囲気」が広がっている

 この先、しばらくは世の中が荒れます。離脱交渉はスムーズに進みません。首相交代で保守党内もガタガタします。その先は総選挙で民族主義政党が台頭する恐れも排除できない。嫌なムードはどんどん広がっていきます。

 株価がリーマン・ショックを超える大幅下げになったように、日本国内もかなりびびった雰囲気になっています。消費増税を先送りする際に「リーマン」を口にした安倍首相は、このような事態を想像していなかったと思いますが、「サミット議長国の日本は、すでに準備をしていた」と吹聴しています。チームアホノミクスは、内需の腰折れ防止を優先し、分配に回されるはずの予算を減らして帳尻を合わせにかかる。もともと財政赤字削減の本丸を社会保障費ととらえているのだから、EU離脱を神風として、医療や福祉の予算を刈り込むわけです。「まずは成長」と叫び、生活保護の基礎的な部分なども削るつもりでしょう。

 直接的な影響はなくても、生活は苦しくなっていく。そんな覚悟が必要だと思います。

【出典】日刊ゲンダイ 2016年7月5日

大橋巨泉が臨死の床で綴った“最後の遺言” 「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」 しかしテレビは巨泉の思いを一切報じず…


大橋巨泉が臨死の床で綴った“最後の遺言”「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」しかしテレビは巨泉の思いを一切報じず…
LITERA 2016.07.01


 大物司会者の大橋巨泉氏が、一時意識不明状態に陥り、5月下旬より集中治療室に入っているとの報道があった。巨泉氏自身が、20年近く続けてきた「週刊現代」(講談社)の連載コラム「今週の遺言」で、明らかにしたものだ。
 巨泉氏は2005年に早期の胃がんが見つかったのを皮切りに、13年には中咽頭がんが見つかり摘出手術。また、14年にはリンパ節、15年には右肺、16年には左鼻腔内にもがんが見つかるなど、長らく闘病生活を続けてきた。連載によると、3月半ば頃から体力の落ち込みがひどく、4月には意識不明の状態に陥り、2週間ほど意識が戻らず、5月からは集中治療室に入っていたというのである。

 そのためこの「週現」の連載も、4月9日号を最後に休載となっていたが、今週発売の7月9月号をもって最終回とするという。その最終回の原稿でも、
〈体力が戻ってこず衰えた〉
〈何時まで生きられるかわからない〉
〈老いた体をベッドに横たえ、たまに車椅子で外に出れば直ぐに高熱を出す始末である〉〈ボクにはこれ以上の体力も気力もありません〉

 と、死をも意識する重篤な病状にあることを繰り返し綴っている。巨泉氏の豪放磊落なイメージからは想像できないほど、深刻な状態にあるようだ。この最終回の原稿も、妻と弟のサポートを受けて何とか完成までもっていけたものだという。その最終回の原稿の最後は、こんな文章で締められている。

〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
「何時まで生きられるかわからない」「ボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と死を意識する壮絶な状況のなか、巨泉氏がまさに最後の力を振り絞って綴った、「最後の遺言」。それは、「改憲」を争点からひた隠しにして参院選を行い、着実に日本を戦争へと向かわせている安倍政権への痛烈な批判だった。

 巨泉氏の状況を思えばその言葉の重みもより増すが、もちろん巨泉氏は突然こんなことを言い出したわけではない。民主党議員だった2001年に、アメリカの同時多発テロを非難し「アメリカを支持する」との表明に民主党でたった1人反対するなど、巨泉氏は徹底して反戦を掲げ続けてきた。安倍政権に対しても、第二次政権が発足した当初より、安倍首相の危険性を訴え続けている。

「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。(略)本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。実際、ニコニコして、口当たりの良いフレーズを並べておきながら、国民の過半数が反対した特定秘密保護法を強引に通してしまった。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」(「日刊ゲンダイ」/2014年5月12日)

 また、昨年4月19日には『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)にゲスト出演し、安倍首相主催の「桜を見る会」に言及。自身も招待を受けていたがそれを断ったと告白して、さらに、巨泉氏とは逆に出席する道を選んだ太田光をこう批判している。
「お前利用されてるんだよ。今日のスポーツ紙に出てたよ。『ああ、安倍さんって心の広い人だなあ』って(大衆に)思われちゃうんだよ」

 さらに同番組では、テレビ朝日とNHKが自民党に呼び出された一件についても「とにかく、自民党に呼ばれて行ったテレ朝とNHKはいかん。なんで一政党に呼ばれて、言論の自由を守らなければいけない放送局が出て行く? これが陰ながらの圧力なんだ」「俺は戦いたい。(略)言論の自由っていうのはね、命をかけて守るべきものなんだよ」と発言。政権に忖度して自粛を繰り返すメディアの姿勢を痛烈に批判した。

 また、同じく15年の「週刊朝日」(朝日新聞出版)9月18日号では、1934年生まれで実際に先の戦争を見てきた自身の経験を踏まえ、戦争がいかに人の命を軽んじるものであるかを痛切に訴えている。

〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。

 特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。

 それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
 ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」

 どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉

 このように巨泉氏は、いかなる戦争も個人の尊厳を破壊するものとして一貫して反対する姿勢を貫き、「戦争のできる国」作りを画策する安倍政権に対し批判を続けてきた。その姿勢は、病に倒れた後も決して変わることはなかったのだ。

 大橋巨泉が集中治療室に入り、長らく続けられていた「週刊現代」の連載が終了したことは各テレビ局でも大きく報道された。しかし、巨泉氏が最も伝えたかった〈安倍晋三の野望はおそろしい〉〈選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉というメッセージを放送した番組はひとつたりともなかった。巨泉氏が危惧していたメディアの萎縮は残念なことにここでも起きてしまったのだ。

〈書きたい事や言いたい事は山ほどある〉
〈このままでは死んでも死にきれない〉
 と自身でも綴っているように、現在の閉塞した言論状況にあって巨泉氏は貴重なリベラル論客であり、まだまだ語ってほしいことがたくさんある。巨泉氏の「最後の遺言」を胸にきざむと同時に、なんとか回復しまた舌鋒鋭い批判を繰り出してくれる日が訪れることを祈りたい。
(新田 樹)
出典:日刊ゲンダイ 2016年7月5日/LITERA 2016.07.01

自民狼狽 「舛添・沖縄・甘利」の“三重苦”で比例票が減る

自民狼狽 「舛添・沖縄・甘利」の“三重苦”で比例票が減る 日刊ゲンダイ 2016年6月12日

 参院選に向け、連日、地方遊説に精を出す安倍首相だが、内心は不安で仕方ないようだ。世間を騒がすニュースが選挙結果、特に比例議席を激減させかねない情勢になってきたからだ。
「(1)舛添(2)沖縄(2)甘利がいま自民党を取り巻く“三重苦”です。有権者の投票行動にどこまで影響するのか、官邸も党本部もヤキモキしています」(自民党関係者)
 もっとも影響が大きいのは舛添都知事の公私混同問題だ。
「『なぜ舛添をかばうのか』『参院選で投票しないぞ』という抗議電話が、都議会や都議の事務所だけでなく、国会議員や自民党本部にまでかかってくる。当初は知事個人の問題だったのに、いまや舛添与党である自公の問題として連日、ニュースで報じられている。都政とは無関係な関西ローカル番組ですら扱われている。批判は都民に限らず、全国に広がっています」(前出の自民党関係者)

 このままではマズいと、自民党は集中審議で徹底追及の姿勢を見せる方針。
 だが、15日の都議会最終日に共産党などが知事の不信任決議案を提出する見通しで、自民党はこれを「否決」するとみられる。
「そうなれば、『自民党が舛添知事を守った』という世論の批判がさらに高まるでしょう」(都政記者)


■ 15議席割れを懸念
 沖縄問題では、女性遺棄事件の余波が続いている。9日、米軍属が殺人と強姦致死容疑で再逮捕された。
「沖縄だけでなく米軍基地のある全国の自治体にも嫌なムードが広がることを懸念しています」(官邸関係者)

 米軍基地の辺野古移転で対立する翁長知事の支持派が県議選で「大勝利」したことも、安倍政権と自民党に影を落とす。


 そして、甘利問題は言わずもがなだ。甘利前経済再生相は、説明責任を果たさず、政治活動に復帰。「自民党はズルいという印象で、支援者の評判が悪い」(自民党中堅議員)という。


 こうした党イメージの低下は「政党」を選ぶ比例票に直結する。安倍首相周辺は「比例15議席割れ」も懸念し始めた。

「過去5回の参院選のデータを分析すると、自民党の比例の平均は、1740万票、16議席。118万票で1議席となる。最低は6年前の12議席。絶好調だった3年前ですら、1800万票で18議席です。今回ここから400万~500万票でも減れば、3~4議席を失う。日頃の付き合いなどを考慮して投票先を選ぶ『選挙区』と、おきゅうを据える『比例』というように有権者は使い分けをするので、15議席割れはあり得ない数字ではありません」(政治評論家・野上忠興氏)

 安倍首相は女性票がどこまで減るのかも気にしているらしい。街頭での笑顔は、カラ元気か。



ボランティアへの報酬隠し 自民新人に公選法違反疑惑浮上  2016年6月12日

 参院選の奈良選挙区で出馬予定の自民新人、佐藤啓氏(37)に公職選挙法違反疑惑が浮上だ。詐欺行為に手を貸していた恐れもあるから、ただ事ではない。

「始まりは3月中旬に佐藤氏が知人2人を事務所に入れたことです」と佐藤事務所の関係者がこう明かす。

「佐藤さんは2人が失業保険をもらっている身だったため、報酬を渡さないボランティアの扱いにしていました。ですが、実際は『交通費』という名目で、必要以上にカネを渡していたのです。交通費の実費は、10日で1万円以下のはずが、5万円以上も渡していた。誰かがハローワークにタレ込んだようで、事務所は4月下旬に勤務状況について問い合わせを受けた。すると、あろうことか佐藤さんは事務所スタッフに隠蔽するよう指示したそうです」

 報酬を隠し、失業保険を不正受給していたとすれば詐欺行為にあたる可能性があり、佐藤氏は犯罪に手を貸していた恐れがある。さらに問題なのは、労働の対価に対し、過大な報酬を与えれば寄付にあたり、「寄付行為の禁止」を定める公選法199条第2項に違反することだ。東京都選挙管理委員会によると、一般論として、無償労働のボランティアに交通費を必要以上に渡せば公選法違反になる可能性があるという。

 佐藤氏は奈良県出身。名門進学校の私立西大和学園高校を経て、東大に進学した。卒業後は総務省に入省し、首相補佐官の秘書官なども務めた超エリート。昨年11月に公募で、自民党公認を勝ち取った。そんな人物がなぜ、だ。

「会計責任者の秘書が問題にすると、『バレたらあなたに罪をかぶってもらう』と脅し、自民党本部にも隠すよう指示した。軽い気持ちで報酬を渡していたのでしょうが、あまりにも脇が甘すぎます」(前出の事務所関係者)

 疑惑を佐藤氏本人にぶつけると、「基本的にちゃんと対応していると思いますが……。詳しい手続きを把握していないので、速やかに事務所の者から連絡させます」と戸惑っている様子。その3時間後、事務所所長と名乗る人物から連絡がきた。

「4月の給与明細を見て、交通費の金額が多すぎると気づきました。佐藤は事務手続きのミスだったと話し、払いすぎた3月分の交通費の返還手続きをしたと聞いています。何ら違法行為はなかったと認識しています」

 単純ミスを強調したが、隠蔽はなかったのか。


TPPに一言も触れず 安倍首相の応援演説に山形の農家怒り  2016年6月11日

山形での応援演説(C)日刊ゲンダイ

 安倍首相が山形で墓穴を掘った。9日、山形県内で自民新人の月野薫(61)の応援演説をしたのだが、「経済政策が最も大きな争点」と強調しながら、TPP(環太平洋経済連携協定)について一言も触れなかったのだ。

 午前中に山形入りした安倍首相は、和牛農家やサクランボ園を視察、特産品のさくらんぼ「紅秀峰」も食べ、演説で「甘くておいしかった」と絶賛。農業関係者との意見交換会にも顔を出して、農家に寄り添っている印象を与えるのには熱心だった。だが、県内の農業関係者は「山形県の地元農業にも大きな打撃を与えると懸念されているTPPについて全く話さないのでは、農家への説明責任を放棄したとしか言いようがありません」と呆れていた。

 県の試算ではTPPで「農林水産物の生産額は3割減少」という結果が出ている。月野はJA全農山形副本部長だったのに、地元の農政連が自主投票を決めたのは、TPP推進の自民党に対する不満が残っているためだ。

 安倍首相は約21分の演説で約3分間、農業について話したが、空虚で抽象的な決意表明にとどまった。

「農業は大変です。毎日、土と向かいながら、時には厳しい自然と立ち向かい、闘いながら、そして、この美しい日本の田園風景を守っている。日本の地域の伝統や文化を守ってきたのは、農業に従事をしてきた皆さまだと思います」
 農家の反発が高まるのは必至だ。

(取材協力=ジャーナリスト・横田一氏)


【出典】日刊ゲンダイ 2016年6月12日

出典:日刊ゲンダイ 2016年6月12日

右翼なのか、保守なのか…今も50%「安倍支持派」の正体
アベノミクスの失敗は明白(C)日刊ゲンダイ

右翼なのか、保守なのか…今も50%「安倍支持派」の正体 日刊ゲンダイ 2016年6月7日

 参院選を目前に、安倍内閣の支持率が軒並み上昇している。メディアによっては、50%台に乗せている世論調査結果もある。

「では、極右政権に支持率を与えている50%の人が右翼なのか、保守なのかといえば、決してそういうわけではないでしょう。支持率アップの理由は伊勢志摩サミットと米オバマ大統領の広島訪問とされています。サミットでは世界経済危機をデッチ上げて天下に恥をさらしただけだし、オバマ大統領の広島訪問も内容は空虚なものでした。なのに、大メディアは大きな外交成果を挙げたように報じる。それで多くの人は、なんとなく仕事をしてそうなイメージに誘導されて、内閣支持率がハネ上がるという仕組みです。いわば大メディアの自作自演みたいなもので、多くの国民は、内心では安倍政権の戦前回帰路線に疑問や不安を感じているはずです。しかし、参院選の野党共闘に対して“民共”だの野合だのといった批判をメディアが垂れ流すから、野党の支持率は伸び悩み、ますます内閣に支持が集まる。たとえ消極的な支持であっても、この内閣に高い支持率を与えれば、国民の多くが反対する右翼政策をゴリ押しする力を与えることになる。原発再稼働や安保法がいい例です」(政治評論家・本澤二郎氏)

 ここで登場するキーワードが「日本会議」だ。安倍の政策には、ことごとく日本会議の存在がついて回る。「美しい国」も、「日本人の誇りを取り戻す」も、もともとは日本会議の理念である。集団的自衛権の行使解禁、憲法改正、愛国心教育、“自虐的”な歴史教育の是正、戦後レジームからの脱却――これらの政策もすべて日本会議が提言してきたものだ。高支持率を維持する安倍政権の“黒幕”とされる右派組織への関心が高まっている。


■ 事実より「物語」を重要視
 4月末に発売された「日本会議の研究」(扶桑社新書)は、発売前から重版が決定。たちまちベストセラーだが、著者の菅野完氏が3日付の本紙インタビューで語った真相は驚くべきものだ。日本会議は決して巨大な組織ではない。「中身は空っぽ」だというのである。

〈彼らは平気で資料を無視する。事実より「物語」を重要視する。「国家の誇り」が事実より大事だという〉
〈日本会議周辺の人々の意識には、“国家”しかない。その意味では彼らのよって立つところは、本来の右翼でも保守でも何でもない〉

〈日本会議が唱えている「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」などは、非近代的で、思想的にも政治的にも目新しさがまったくありません。組織の中核を担っているのは70年安保の学生運動のときに左翼学生と戦った「右翼学生運動」のメンバーたちで、運動のモチベーションは突き詰めると「反左翼」「反戦後民主主義」に過ぎません。単に「壮大なる反対運動」に過ぎない。だから中身が空っぽなんです〉

 事実を直視せず、物語に酔いしれる情念の世界。そこに論理性はなく、彼らのよりどころは反左翼のみ。要するに新興宗教とネトウヨを掛け合わせたような集団なのだが、こういう人々に支えられ、戦前回帰路線を突き進んできたのが安倍政権だ。

街頭演説をきく有権者(C)日刊ゲンダイ

「なんとなく保守」をなんとなく支持する思考停止

 菅野氏の著書によれば、日本会議の会員数は約3万8000人。改憲などをテーマにたびたび「1万人大会」を開催し、その都度きっちり事前予告通りの数字を出すという。この能力が選挙でも発揮されるため、政治家が群がり、全有権者の0.1%にも満たない人数の組織が政権の政策決定に大きく関与することになる。そこが空恐ろしい。

 ジャーナリストの青木理氏による「AERA」誌上の連載「安倍家三代世襲の果てに」は、安倍の大学時代の恩師で政治学者の宇野重昭氏の〈彼(安倍晋三)の保守主義は、本当の保守主義ではない〉という言葉を紹介していた。

 宇野氏は東大卒業後、外交官を経て成蹊大学法学部の教授に就任。法学部長から学長、成蹊学園専務理事まで務めた学園を代表する最高碩学である。母校の元トップが、教え子の安倍に対し、時おり涙を浮かべながら、こう訴えたというのだ。

〈彼は首相として、ここ2、3年に大変なことをしてしまったと思います。平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張り込んでしまった〉
〈彼らの保守は『なんとなく保守』で、ナショナリズムばかりを押し出します〉
〈もっとまともな保守、健全な意味での保守になってほしい〉


 反左翼だけで中身空っぽの日本会議が、安倍やシンパの「なんとなく保守」を後押しし、そこに大メディアもすり寄って、忖度報道を続ける。それに世論が「なんとなく」支持を与え、勝ち馬選挙の流れが決まっていく。そういういびつな構図が浮かび上がる。

■ 1億人の有権者が諦めたらオシマイ

「野党が無力だし、大メディアが政権を批判しないから、国民が問題意識を持たず、漫然と支持を与えてしまっている。本来、参院選の争点は『憲法無視の安倍政治を放置していいのか』『民主主義と立憲主義が破壊されていいのか』ということに尽きるはずなのに、争点を経済にすり替えようという政権の思惑にメディアが加担している状況です。そういう報道に騙されて、安倍政権を“なんとなく”支持していれば、被害を被るのは当の国民なのです。冷静に考えれば、アベノミクスはデタラメで、負担ばかりが増え、生活は貧しくなる一方じゃないですか。沖縄県議選の結果を見れば分かるように、有権者がマジメに考えれば、こんな政権を支持できるはずがないのです。安倍首相は支持率さえあれば何をしても許されると考えている。参院選に勝てば、ますます独裁色を強めるでしょう。改憲勢力に3分の2の議席を与えれば、いよいよ日本会議の悲願である憲法改正です。戦争をする国になるのです」(本澤二郎氏=前出)

 日本の有権者数は1億人もいるのに、わずか3万8000人の日本会議が望む世の中になっていいのか。主権者である国民が政治への関心を失い、“誰が総理になっても変わらない”と斜に構えていたら、連中の思うツボだ。

「誰がやっても同じと諦めるのは間違っています。そんなことは断じてない。政権トップの意向で経済政策は大きく変わるし、だからこそアベノミクスなどというインチキ政策がまかり通っているのです。安倍政権の経済政策を一言で表すと、日本の破壊活動です。このままでは、日本経済はメチャクチャに破壊されてしまう。国民生活を守るためには、こんな悪辣政権には一刻も早く退陣してもらうことが最大の経済対策なのです。それには選挙で引きずり降ろすしかありません」(経済アナリスト・菊池英博氏) 

 1億人が投票に行けば、自公政権を支える組織票に勝ち目はない。過半数割れなら退陣だ。
 大企業優遇で新自由主義の安倍政権では一向に生活が良くならないのに、大メディアが垂れ流すムードに流されて安倍政権に支持を与える有権者は、思考停止に陥っているのではないか。日本人はお人好しというが、虐げられてなお、お上に従順な愚鈍さは罪作りなほどだ。そういう人々が安倍の暴挙を許し、政権を支え続けている。たとえ安倍政権を不支持でも、選挙に行かなければ悪政を容認していると同じこと。政権がおかしな方向に向かっていると思えば、参院選で意思表示するしかないのだ。AKB総選挙なんぞに気を取られている場合ではない。


【出典】LITERA 2016.06.03

出典:LITERA 2016.06.03


『報ステ』古舘伊知郎“最後の一刺し”がギャラクシー賞を受賞! 安倍とヒトラーの類似性をドイツ取材で証明
テレビ朝日『報道ステーション』HPより

『報ステ』古舘伊知郎“最後の一刺し”がギャラクシー賞を受賞!  安倍とヒトラーの類似性をドイツ取材で証明

 この1年間で放送された優れた番組に贈られるギャラクシー賞の贈賞式が、昨日6月2日、都内で行われた。注目は、テレビ朝日『報道ステーション』の「特集 ノーベル賞経済学者が見た日本」(2016年3月17日放送)「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」(2016年3月18日放送)がテレビ部門大賞を受賞したことだろう。

 ギャラクシー賞は毎年、特定非営利活動法人「放送批評懇談会」がNHK、民法放送各局から独立して審査・顕彰するが、ニュース番組が大賞を受賞するのは初めてのこと。そして、大賞を受賞した『報ステ』の特集「独ワイマール憲法の“教訓”」は、現在、安倍首相が改憲での創設に強い意欲を見せている「緊急事態条項」と、ヒトラーが独裁に利用した「国家緊急権」が酷似していることを鋭く指摘したもの。それも、古舘伊知郎キャスターが直接ドイツからレポートして、権力が暴走する歴史を丹念に検証するという力作であった。

 ご存知の通り、『報ステ』はこれまで、安倍政権からの有形無形の圧力にさらされてきた。古舘氏は今年の3月末をもって番組を降板。最後の出演で古舘氏は“圧力がかかって辞めるわけではない”としつつも、「ただ、このごろは、報道番組で、あけっぴろげに、昔よりもいろんな発言ができなくなりつつあるような空気は、私も感じています」と、放送メディアが安倍政権を忖度し、現場も自由な報道ができていない現状を率直に語った。

 その意味で、今回、古舘氏の“最後の一刺し”であった「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」が、ギャラクシー賞の大賞に輝いた意味は大きい。さらに贈賞式では、同じく今年の3月でNHK『クローズアップ現代』を降板した国谷裕子氏に特別賞が授与され、古舘氏と二人三脚で『報ステ』を支えてきた元プロデューサー・松原文枝氏がスピーチをするなど、現在の放送メディアの苦境を現場の人間が臆さずに跳ね返そう、という強い意志を感じるものだった。

 放送メディアには、政権の圧力に屈さず、決して忖度することのない番組作りをしてもらいたいと切に願う。目前にある日本社会の危機を真摯に検証し、愚直に報道することこそが、視聴者がメディアに求めているものに他ならないからだ。
 以下に、今回ギャラクシー賞の大賞に輝いた『報ステ』の特集を、当時本サイトが紹介した記事を再録するので、ぜひこの機会にいま一度、じっくりとその内容をお読みいただきたい。
(編集部)
情報、画像ー報道ステーション

 昨夜3月18日に放送された『報道ステーション』(テレビ朝日)が、いま大きな話題を集めている。というのも、昨夜の特集は安倍首相が改憲の入口として新設を目論んでいる「緊急事態条項」。しかも、ヒトラーが独裁のために悪用した「国家緊急権」と重ね合わせるという、安倍首相が激怒すること間違いなしの内容で、古舘伊知郎キャスター自らがドイツへ渡りレポートする力の入れようだったからだ。

 まず、古舘キャスターはドイツからのレポートの最初に、こう話した。
「ヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけじゃありません。合法的に(独裁を)実現しているんです。じつは、世界一民主的なワイマール憲法のひとつの条文が、独裁につながってしまった。そしてヒトラーは、ついには、ワイマール憲法自体を停止させました」「ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、まあ、日本がそんなふうになるとは到底思わない。ただ、いま日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです」

 独裁の道に走らせたワイマール憲法の条文、それこそが「国家緊急権」だ。「大統領は公共の安全と秩序回復のため必要な措置を取ることができる」という条文をヒトラーは悪用、集会やデモの開催を禁止し、出版物を取り締まり、共産主義者を逮捕し、野党の自由を奪い、あらゆる基本的人権を停止させた。ここまでは教科書にも書いてあることだが、本題はここから。この「国家緊急権」が「緊急事態条項」とそっくりではないか、と言及するのだ。

 国家緊急権と緊急事態条項がそっくりだというのは、本サイトでも昨年から繰り返し指摘してきた。安倍政権は大規模な自然災害時に迅速に対応するために緊急事態条項が必要なのだと強調するが、これは建前に過ぎない。事実、自民党による憲法改正草案の該当箇所には、こうある。

情報、画像ー報道ステーション

《緊急事態の宣言》

《第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。》

 「災害時のために」と言うわりに、自然災害が出てくるのは最後の3番目である。しかも草案では、緊急事態宣言は国会の承認が必要だが事後でもいいことになっており、これは事実上、事後承認でやりたい放題できる、ということだ。

 くわえて草案には、ダメ押しで、《この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限尊重されなければならない。》とある。つまり、法の下の平等、身体の拘束と苦役からの自由、思想と良心の自由、表現の自由といった人類普遍の権利でさえ「最大限尊重」(厳守ではない)程度の扱いになるのである。

 夏の参院選で与党が3分の2以上の議席を獲得し、緊急事態条項の新設となれば、いよいよ本当に安倍首相はヒトラーのように独裁にひた走るのではないか──。実際、昨夜の『報ステ』では、ワイマール憲法の権威であるドイツ・イエナ大学のミハエル・ドライアー教授にこの緊急事態条項を見せたところ、ドライアー教授はこう述べていた。
「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。

 一見、読むと無害に見えますし、他国と同じような緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。(中略)なぜ一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか。首相が(立法や首長への指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。人の支配は性善説が前提となっているが、良い人ばかりではない」

 良い人ばかりが首相になるわけではない。現状の安倍政権の強権的な態度を考えると、じつに含みのある話である。さらに番組ではスタジオゲストとして、昨年の安保法制の国会審議の際、与党の推薦で参考人として国会に招致され「安保法制は違憲」という見解を示した長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授が登場。

 長谷部教授は、「内閣総理大臣がそう(緊急事態だと)思えば(緊急事態宣言を行える)という、主観的な要件になっている。(発動要件が客観的ではなく)非常に甘い」「場合によっては怪しいと思われれば令状なしで逮捕される、そんなことになるということも理屈としてはあり得る」と緊急事態条項の危険性を述べ、また、“緊急事態条項が必要ならば憲法に入れるのではなく法律を設けたらいい話なのではないか”という見解も示した。

 このように、多角的に緊急事態条項を掘り下げた『報ステ』。しかし、古舘キャスターは番組中、「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、さらには一度たりとも「安倍」という二文字を発しなかった。
 だが、この特集のテーマは緊急事態条項と国家緊急権の類似性のみに留まらず、緊急事態条項の新設を目論む安倍首相の危険性をも暗に伝えるものだった。

情報、画像ー報道ステーション

 たとえば、ドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、ヒトラーが「強いドイツを取り戻す」という言葉で民衆から支持を得ていったこと、そしてヒトラーは巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」に、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを、古舘キャスター自らが紹介した。お察しの通り、これはすべて安倍首相に置き換えられるものだ。

 というよりも、ヒトラーの手法を安倍首相が多分に意識し、真似ているといったほうがいいだろう。現に自民党は、自民党東京都支部連合の事務局広報部長(当時)がヒトラーの選挙戦略を学ぼうという『HITLER ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)なるナチス礼賛本を出版。高市早苗総務相が「著者の指摘通り勝利への道は『強い意志』だ。国家と故郷への愛と夢を胸に、青年よ、挑戦しようよ!」という推薦文を寄せていた(ちなみに同書は批判が殺到し、わずか2カ月で絶版回収されている)。

 まさに、日本がいま置かれた危機的状況のなかで警鐘を鳴らす、渾身の特集。既報の通り、政権からの圧力によって降板に追い込まれた古舘キャスターだが、この放送はそんな古舘氏と番組スタッフたちによる、じつに真っ当な方法による“政権への反撃”だったのだろう。

 古舘キャスターは特集の最後を、こんな言葉で締めくくった。
「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」
 こうした重要な情報を視聴者に伝えるのが、本来の報道の役割であるはず。だが、ヒトラーよろしく日本の独裁政権はこれを“偏向報道”と呼び、不都合な事実を伝えるキャスターたちをことごとく握り潰すことに成功した。まさしくいま恐ろしい国になりつつあるが、最後に気概を見せた『報ステ』は、古舘キャスター最終日の31日の放送まで見逃せないものとなりそうだ。大いに期待したい。
(水井多賀子)

【出典】LITERA 2016.06.03

出典:LITERA 2016.06.03


亡くなった元ゼロ戦パイロット原田要氏は生前、 安倍首相を痛烈批判していた!「戦前の指導者に似ている」と

亡くなった元ゼロ戦パイロット原田要氏は生前、安倍首相を痛烈批判していた!「戦前の指導者に似ている」と
LITERA 2016.05.04

 第二次世界大戦当時、ゼロ戦パイロットだった原田要氏が、昨日3日、多臓器不全のため99歳で死去したことが報じられた。
 原田氏は元大日本帝国海軍のエースパイロットで、真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦などに参加。ガダルカナル島の戦いで重傷を負い帰国後は、教官となり終戦を迎えた。『最後の零戦乗り』(宝島社)など、自らの経験を記した著書もある。

 その経歴が共通することから、百田尚樹のゼロ戦小説『永遠の0』の主人公のモデルのひとりともされている人物だ。
 しかし、戦争を美化し安倍政権の戦争政策を後押しする百田とは対照的に、晩年の原田氏は湾岸戦争をきっかけに、講演などで自身の体験とともに戦争の恐ろしさ、平和の大切さを伝える活動をしていた。

 さらに生前の原田氏は安倍首相の歴史認識や戦争に対する考えについて痛烈に批判していた。それは、昨年4月の米紙「ニューヨークタイムズ」のインタビューに原田氏が応じた際のことだ。
 当時本サイトでも、「Retired Japanese Fighter Pilot Sees an Old Danger on the Horizon(元日本人戦闘機飛行士は差し迫った古い危機をみる)」と題された、その原田氏のインタビュー記事を、紹介した。


(写真) みんなが知るべき情報/今日の物語

 インタビューのなかで、原田氏は、安倍首相の歴史認識や戦争に対する考え方について、こう批判していたのである。
「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」「安倍首相ら最近の政治家は戦後生まれだから、どんな犠牲を払ってでも戦争を避けなければならないということを理解していないのです」

 そして続けて、こんな危惧も語った。
「その点で彼ら(安倍首相ら)は戦前の指導者たちと似ているんです」

 インタビューの掲載された昨年4月といえば、安倍政権が日本を“戦争できる国”に変える安保法制の国会審議を控えていた時期のこと。
 その後安保法制は、憲法も民意も無視したまま強行成立してしまった。そして今さらに、安倍首相は、改憲によってまさに「戦争放棄を取り消そう」と、動いている。
 だからこそ今あらためて原田氏の言葉を、私たちは噛み締めるべきではないか。言っておくが、原田氏は決して左翼に転向したわけではなく、別の局面では愛国的な発言もしている。そんな人物が「安倍首相は戦前の指導者に似ている」と指摘したことの意味は大きい。
 ニューヨークタイムズのインタビューに対し、「私は死ぬまで、私が見てきたものについて語りたい」「決して忘れないことが子どもたち、そして子どもたちを戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」とも語っていた、原田氏。
 その戦争と平和への思い、安倍政権への危惧を、以下に再録するので、ぜひご一読いただきたい。(編集部)


(写真) みんなが知るべき情報/今日の物語

 4月3日、米「ニューヨーク・タイムズ」に、第二次世界大戦時、零戦のパイロットだった男性のインタビューが掲載された。原田要さん、98歳。元大日本帝國海軍エースパイロットである。
 原田さんは真珠湾攻撃では上空直掩隊として艦隊上空を警戒し、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦に参加。ガダルカナル島の戦いで撃墜され、重傷を負いながらも帰国し、教官となって終戦を迎えた。総撃墜数は19機。自らの経験を記録したいくつかの著書を残している。

 「Retired Japanese Fighter Pilot Sees an Old Danger on the Horizon(元日本人戦闘機飛行士は差し迫った古い危機をみる)」──そう題された「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、長野で行われた原田さんの講演会の描写から始まる。彼はゆっくりと壇上に上がると、セピアに色あせた写真を掲げたという。それは、革のフライトジャケットを着込んだ、若かりし頃の自分の姿だった。

そしてこう語った。
「戦争ほど恐ろしいものはありません」「私は、あなたたちに私自身の戦争体験を伝えたい。若い世代に、私と同じ恐怖を体験させないために」

 講演会のあと、原田さんは「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに応じている。
 「私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています」「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」「戦争は人間から人間性を奪うのです。全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれることによって」「私は気がつきました。戦争が、私を人殺しへと変えてしまった。私はそうありたかったわけではないのに」

 人を殺したくない、そう思っていても、人を殺してしまっている──戦場の現実を知る当事者の言葉は、重い。記事には書かれていないが、原田さんの著書『最後の零戦乗り』(宝島社)には神風特攻のエピソードも記されている。


(写真)東中 光雄 物語

 1943年1月、原田さんは霞ヶ浦航空隊に教官として着任し、海軍兵学校出身者3名を受け持つことになった。そのなかの一人が関行男大尉(2階級特進後、中佐)だった。初の神風特攻により、レイテ沖海戦で戦死した軍人である。

 そして、原田さん自身もまた、霞ヶ浦航空隊にいたころ、「参謀肩章を付けたお偉いさん」から特攻の志願を促されたことがあったという。ガダルカナルでともに死の淵に立った戦友は、「命令されたら仕方がない。こうなったら俺は志願するよ」と言って、戦死した。原田さんは「俺はいやだ」と志願しなかったと書いている。

〈ミッドウェーでの「巻雲」での経験、ガ島から病院船での出来事、とにかく私は、
「命を大事にしなくては」 と、最後まで、命はむだにしちゃいけないと思っていた。〉(『最後の零戦乗り』より)

 ──このエピソードを聞いて、なにかを思い出さないだろか。海軍のエースパイロット、教官に転身、「命を大事に」。そう、百田尚樹『永遠の0』の主人公、宮部久蔵である。原田さんと宮部久蔵は、操縦練習生出身という点でも同じだ。

 実は、百田と原田さんは少なくとも一度、会って話したことがあるらしい。『永遠の0』出版後の2010年に、百田はツイッターでそのことをつぶやいていた。実際、そんな縁もあり、前出の『最後の零戦乗り』の帯に百田が推薦文を寄せている。

 原田さんは、百田に会ったときに「(主人公の宮部は)いろいろな零戦搭乗員の話を聞いてから作った、ひとりの偶像です。このなかには原田さんも入っています」と聞かされたという。しかし、安倍首相を礼賛し、タカ派発言を連発する百田とは対称的に、原田さんはインタビューのなかで、安倍首相の歴史認識や戦争への考え方に対して、こう「鋭いジャブ」を入れている。

 「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」、そして、「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」と。


(写真) みんなが知るべき情報/今日の物語

 積極的平和主義の名の下に、日本を再び「戦争ができる国」にしてしまった安倍首相。その口から常日頃飛び出すのは「有事にそなえて」「中国の脅威は予想以上」という国防論だ。そこからは、原田さんが語る「全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれる」「戦争が、私を人殺しへと変えてしまった」という生々しい血の匂いと、背負うことになる罪の重さは、まったく感じられない。

 原田さんはインタビューで、「安倍首相ら最近の政治家は戦後生まれだから、どんな犠牲を払ってでも戦争を避けなければならないということを理解していないのです」と語り、そして、こう続けている。
「その点で彼らは戦前の指導者たちと似ているんです」

 戦後、眠れないほどの悪夢に苦しめられたと語る原田さん。夢のなかで彼が見続けていたのは、自分が撃墜したアメリカの飛行士たちの怯える顔だった。自身の戦争体験をようやく語れるようになるまでに、何年もの時がかかったという。

 記事は、原田さんのこんな言葉で締めくくられている。
「私は死ぬまで、私が見てきたものについて語りたいと思う」「決して忘れないことが子どもたち、そして子どもたちの子どもたちを戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」安倍首相や百田に、その「恐怖」は想像もできないらしい。
(梶田陽介)


【出典】LITERA 2016.05.04

出典:LITERA 2016.05.04


『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃!
ドイツ取材で緊急事態条項の危険性 安倍首相とヒトラーの類似点を示唆

『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃! ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆 LITERA 2016.03.19



 昨夜3月18日に放送された『報道ステーション』(テレビ朝日)が、いま大きな話題を集めている。というのも、昨夜の特集は安倍首相が改憲の入口として新設を目論んでいる「緊急事態条項」。しかも、ヒトラーが独裁のために悪用した「国家緊急権」と重ね合わせるという、安倍首相が激怒すること間違いなしの内容で、古舘伊知郎キャスター自らがドイツへ渡りレポートする力の入れようだったからだ。

 まず、古舘キャスターはドイツからのレポートの最初に、こう話した。
ヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけじゃありません。合法的に(独裁を)実現しているんです。じつは、世界一民主的なワイマール憲法のひとつの条文が、独裁につながってしまった。そしてヒトラーは、ついには、ワイマール憲法自体を停止させました
ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、まあ、日本がそんなふうになるとは到底思わない。ただ、いま日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです

 独裁の道に走らせたワイマール憲法の条文、それこそが「国家緊急権」だ。「大統領は公共の安全と秩序回復のため必要な措置を取ることができる」という条文をヒトラーは悪用、集会やデモの開催を禁止し、出版物を取り締まり、共産主義者を逮捕し、野党の自由を奪い、あらゆる基本的人権を停止させた。ここまでは教科書にも書いてあることだが、本題はここから。この「国家緊急権」が「緊急事態条項」とそっくりではないか、と言及するのだ。

 国家緊急権と緊急事態条項がそっくりだというのは、本サイトでも昨年から繰り返し指摘してきた。安倍政権は大規模な自然災害時に迅速に対応するために緊急事態条項が必要なのだと強調するが、これは建前に過ぎない。事実、自民党による憲法改正草案の該当箇所には、こうある。

《(緊急事態の宣言) 第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

「災害時のために」と言うわりに、自然災害が出てくるのは最後の3番目である。しかも草案では、緊急事態宣言は国会の承認が必要だが事後でもいいことになっており、これは事実上、事後承認でやりたい放題できる、ということだ。


 くわえて草案には、ダメ押しで、《この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限尊重されなければならない。》とある。つまり、法の下の平等、身体の拘束と苦役からの自由、思想と良心の自由、表現の自由といった人類普遍の権利でさえ「最大限尊重」(厳守ではない)程度の扱いになるのである。

 夏の参院選で与党が3分の2以上の議席を獲得し、緊急事態条項の新設となれば、いよいよ本当に安倍首相はヒトラーのように独裁にひた走るのではないか──。実際、昨夜の『報ステ』では、ワイマール憲法の権威であるドイツ・イエナ大学のミハエル・ドライアー教授にこの緊急事態条項を見せたところ、ドライアー教授はこう述べていた。
「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。

 一見、読むと無害に見えますし、他国と同じような緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。(中略)なぜ一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか。首相が(立法や首長への指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。人の支配は性善説が前提となっているが、良い人ばかりではない」

 良い人ばかりが首相になるわけではない。現状の安倍政権の強権的な態度を考えると、じつに含みのある話である。さらに番組ではスタジオゲストとして、昨年の安保法制の国会審議の際、与党の推薦で参考人として国会に招致され「安保法制は違憲」という見解を示した長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授が登場。長谷部教授は、「内閣総理大臣がそう(緊急事態だと)思えば(緊急事態宣言を行える)という、主観的な要件になっている。(発動要件が客観的ではなく)非常に甘い」「場合によっては怪しいと思われれば令状なしで逮捕される、そんなことになるということも理屈としてはあり得る」と緊急事態条項の危険性を述べ、また、“緊急事態条項が必要ならば憲法に入れるのではなく法律を設けたらいい話なのではないか”という見解も示した。

 このように、多角的に緊急事態条項を掘り下げた『報ステ』。しかし、古舘キャスターは番組中、「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、さらには一度たりとも「安倍」という二文字を発しなかった。
 だが、この特集のテーマは緊急事態条項と国家緊急権の類似性のみに留まらず、緊急事態条項の新設を目論む安倍首相の危険性をも暗に伝えるものだった。


 たとえば、ドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、ヒトラーが「強いドイツを取り戻す」という言葉で民衆から支持を得ていったこと、そしてヒトラーは巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」に、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを、古舘キャスター自らが紹介した。お察しの通り、これはすべて安倍首相に置き換えられるものだ。

 というよりも、ヒトラーの手法を安倍首相が多分に意識し、真似ているといったほうがいいだろう。現に自民党は、自民党東京都支部連合の事務局広報部長(当時)がヒトラーの選挙戦略を学ぼうという『HITLER ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)なるナチス礼賛本を出版。高市早苗総務相が「著者の指摘通り勝利への道は『強い意志』だ。国家と故郷への愛と夢を胸に、青年よ、挑戦しようよ!」という推薦文を寄せていた(ちなみに同書は批判が殺到し、わずか2カ月で絶版回収されている)。

 まさに、日本がいま置かれた危機的状況のなかで警鐘を鳴らす、渾身の特集。既報の通り、政権からの圧力によって降板に追い込まれた古舘キャスターだが、この放送はそんな古舘氏と番組スタッフたちによる、じつに真っ当な方法による“政権への反撃”だったのだろう。

 古舘キャスターは特集の最後を、こんな言葉で締めくくった。
「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」
 こうした重要な情報を視聴者に伝えるのが、本来の報道の役割であるはず。だが、ヒトラーよろしく日本の独裁政権はこれを“偏向報道”と呼び、不都合な事実を伝えるキャスターたちをことごとく握り潰すことに成功した。

 まさしくいま恐ろしい国になりつつあるが、最後に気概を見せた『報ステ』は、古舘キャスター最終日の31日の放送まで見逃せないものとなりそうだ。大いに期待したい。
(水井多賀子)


【出典】LITERA 2016.03.19

出典:LITERA 2016.03.19


海外メディアの特派員たちが安倍政権の報道圧力と 権力に飼いならされた日本の報道機関に警鐘を鳴らす!

海外メディアの特派員たちが安倍政権の報道圧力と権力に飼いならされた日本の報道機関に警鐘を鳴らす! LITERA (リテラ) 2016.01.14

 日本国内の報道が危機に瀕している。安倍政権は政権批判を封じ込めるために圧力をかけ、萎縮したマスコミは“自主規制”によって権力に不都合な事実を伝えない。
 ところが、そんな状況下でありながら、日本国内の危機意識は薄い。報道への圧力を「反日サヨクの妄想」と連呼するネトウヨはともかく、メディア関係者の中にも「政権からの圧力などありえない」「陰謀論だ」と冷笑する者が多数いることに愕然とさせられる。
 どうやら彼らは、現実問題として、海外で日本のメディアがどう位置付けられているかを知らないらしい。
 たとえば先日、本サイトは、国連からの命で安倍政権の報道圧力についての調査に乗り出した報告者を日本政府が拒絶した問題をお伝えした。すると1月10日、元・米「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長であるマーティン・ファクラー氏が、その本サイト記事『安倍政権の“報道への圧力”全事件簿』(リンク)をリツイートし、拡散。安倍政権の圧力で報道の自由がますます狭められている日本の現状に警鐘を鳴らしたのだ。

 実際、海外の特派員は、権力や巨大利権共同体による報道圧力、それにいとも簡単に屈してしまう日本のジャーナリズムを、非常に厳しい目でみているようだ。
 昨年、「世界」(岩波書店)15年11月号が「海外特派員が見た 安倍政権・安保法案・日本のメディア」という座談会記事を組んだが、これを読むと、そのことがよくわかる。
 中野晃一・上智大学国際教養学部教授を司会に語り会うのは、前述のファクラー氏と、英「エコノミスト」記者であるディビッド・マックニール氏。ともに特派員として長年日本で取材を続けてきたジャーナリストである。
 興味深いのは、ふたりとも“安倍政権になって海外メディアで日本についての記事が増えている”と指摘していることだ。とくに慰安婦問題についての日本のメディア報道に対する発言は痛快ですらある。

「ある意味で、私は安倍さんに感謝したい。彼は歴史問題、とくに『慰安婦』問題についてよく発言するから、それに呼応して記事が増えざるをえないわけです」(マックニール氏)
「昨年(14年)八月、朝日バッシングが起きた時に本当におかしいとおもったのは、『慰安婦』問題を世界に広げたのは朝日だという批判があったことです。朝日ではない、安倍政権ですよ(笑)。安倍政権が『慰安婦』問題に言及しなければ、我々も書かないです」(ファクラー氏)


 一見、冗談のようだが、これは皮肉。国際的に大恥をさらしたのは「誤報」ではなく、安倍政権が主導した狂乱的な“朝日バッシング”のほうだと言っているのだ。
 実際、一昨年の朝日慰安婦報道問題にあたって、各国の特派員やジャーナリスト、識者たちはそろって安倍政権の異様さを指摘していた。例として「週刊現代」(講談社)10月11日号の特集記事「世界が見た『安倍政権』と『朝日新聞問題』」から、その声をいくつか引用する。

「今回の朝日叩きは、政府によるメディアリンチですよ。これは大罪です。そのうち『慰安婦を組織したのは朝日新聞だった』などと言い出すのではないでしょうか。それくらい馬鹿げたことをやっていると思います」(レジス・アルノー氏 仏「フィガロ」東京特派員)
「福島原発も戦争責任も、これまで日本政府が隠蔽してきたことで、朝日はそれらの追及を行ってきたからです。それを安倍首相は、右翼的言動で封殺しようとしている」(バーバラ・オードリッチ氏 独「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」元東京特派員)
「いまの日本で起こっているのは、ずばり『言論テロリズム』です。そのうち、安倍自民党の一党独裁国家になってしまう危険性を孕んでいます」(ダニエル・スナイダー氏 米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)

 このように、海外では安倍政権によるメディア攻撃に苛烈な批判があがっているのである。ところが“被害者”であるはずの国内マスコミの感度は鈍く、人々もまた政府による「知る権利」の侵害に気がつかない。つまり、ここ日本では、報道の送り手も受け手も、安倍政権を忖度しすぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろう。

 なぜそうなってしまったのか。理由のひとつは、ファクラー、マックニール両氏の共通した見解である“メディアが政府から自立していない”という問題だ。ファクラー氏は、福島第一原発事故を契機として、とりわけ第二次安倍政権の誕生後に「日本の全国紙やNHKにとって新しいタブー」が兆したと指摘している。

「原発事故後、一時的にですが原子力ムラの権力のメカニズムがあらわに見えたことがありました。既得権益層はそれにまた蓋をしようと躍起になった。まるで事故など起こらなかったかのように、事故前の状況に戻ろうとしたのです。本当は、日本に原発が必要かどうか含め、いろいろな議論が必要なのに、だんだん消えて、メディアの議論も狭い範囲に限定されてしまった」


 事実、本サイトで追及してきたように、昨年、“原子力タブー”は完全に蘇ったと言うべき状況となった。安倍政権の原発再稼働政策の興隆と同時に、新聞や雑誌には“原子力プロパガンダ広告”が復活。ご存知のとおり、原発に批判的な論調を継続していたテレビ朝日『報道ステーション』は古舘伊知郎キャスターの降板が決まった。
 さらに、昨年に強行可決された安保法制の成立過程を見ても、原発報道と「同じことが言える」という。

「集団的自衛権のような抽象的な言い方を使うから一般人にはよくわからないのですが、もっと根本的な議論が本当は必要だったはずです。日本は平和主義の国であり続けたいのか、外国の軍事基地は必要か、アメリカと対等な同盟国になりたいのか、日本はどういう方向に行くべきか――」


 これらは日本国憲法及び日米安保という、戦後日本の根幹的議題を指しているように思えるが、続けて日本メディアの現状をこのように評すのだ。
「こういう大事な論点に一生懸命触れないようにしている。原子力ムラよりさらに大きな既得権益があるからでしょう。いまの官僚体制、自民党支配の全体にかかわっている問題です。だから、議論を狭い範囲に制限しようとする動きがあり、さきほど申し上げたタブーもそういう動きの一環です。メディアも、残念ながら広い意味で官僚制度の一つの部分にしか見えません」

 また、マックニール氏も、安保法制に関する報道について「マスメディアの失敗でもある」「大手紙の記者はもっと追及すべきだったのに、政治家からの情報を垂れ流すばかりで、それでは一般市民にはわからない」と苦言を呈している。
 日本には記者クラブという珍妙なシステムがあり、海外の目からみれば“官僚制度の一部”と映ってもしかたがない。ようは、新聞やテレビ局は、政府に飼い慣らされることで情報をもらっている。


 この構造が、政権批判をして目をつけられてはたまらないといった萎縮を生み、ファクラー氏がいうように、逆に「大事な論点に一生懸命触れないように」する気質が温存され続けるのだ。政治権力による圧力は「反日サヨクの妄想」などではなく、この構造を意識できないほど日本のメディアで内在化しているということだろう。
 よくいわれる日本のガラパゴス化は「表現の自由」という民主主義の根幹の部分にまで及んでいるのだ。
(小杉みすず)

【出典】LITERA (リテラ) 2016.01.14

出典:LITERA (リテラ) 2016.01.14
政府は国民を映し出す鏡である
 大東亜戦争のA級戦犯で絞首刑に処された東條首相らは最悪の政治家の例であり、また「大本営発表」で戦争を煽ったNHKを始めとするマスコミや、それに踊らされた国民もみな馬鹿だった。そして現在も、好戦的な大本営マスコミと保守の子孫らが、高市政権を作り上げた。これから起こりうる不幸の責任はすべて高市政権とその腰巾着の高市支持者にある。
 西洋の諺で「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのは、政府が厳しいのではなく、愚かな民衆が自ら招いた災いなのだということである。
2026/2/18 (2026/4/6 更新) ★E.ishikawa★
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特集ワイド:息苦しさ漂う社会の「空気」辺見庸さんに聞く

◇ 今の日本は自己規制、ファシズムの国 
 高い支持率を誇る安倍晋三政権。膨らむ経済再生への期待。なのに、この息苦しさは何だろう。浮足立つ政治家や財界人の言葉が深慮に欠け粗くなる傍ら、彼らへの批判を自主規制しようとする奇妙な「空気」が漂っていないか。何が起きているのか。作家の辺見庸さん(68)に聞いた。【藤原章生】

 「イタリアの作家、ウンベルト・エーコはファシズムについて『いかなる精髄も、単独の本質さえもない』と言っている。エーコ的に言えば、今の日本はファシズムの国だよ」。「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の“得意”な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。
 ファシズムと聞くと全体主義、ムソリーニ独裁やヒトラーのナチスが浮かぶ。「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」(後略)
(毎日新聞 2013年05月09日 東京夕刊)

 上記はファシズムについて言い尽くされたことではあるが、「そんたく」という言葉に反応してしまった(笑)。

(前略)安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」と言い、「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していく」と中国や韓国に反論した。
 「英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた」と注意を向けたうえで、辺見さんはこう語る。「安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」
 この空気を支えるものは何か。キーワードとして辺見さんは、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」
 政治を野放しにするとどうなるのか。「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」
 言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。(後略)
(毎日新聞 2013年05月09日 東京夕刊)

 これもまあ辺見庸の言う通りだと思うが、安倍晋三や橋下の支持者は言うに及ばず、安倍や橋下を批判する立場に立っている人たちの間でも「そんたく」だとか「集合的なセンチメント(感情)に流され」ることは日常茶飯事である。A級戦犯容疑者として従来強く批判されてきた元首相を英雄視する史観を、安倍・橋下らを批判してきた人たちのイデオローグが打ち出すや否や、かつての新左翼たちが雪崩を打ってこのトンデモ妄論に「目からウロコが落ちた」と感激し、その中の少なくない者が改憲派へと転向したという事実がある。つまり、体制を批判する側も体制を翼賛する側と何ら変わらないセンチメントによって行動している。
そもそも彼らが信奉する首領様自体、革新政党の議席を議会の3分の1以下にするために(つまり改憲を容易にするために)「政治改革」を言い出して小選挙区制を導入した人物である。「保守化してファシズムの担い手になっ」た「非受益者、貧困者」たちは、何も安倍晋三や橋下の支持者に限らない。宮沢喜一を最後とする保守本流の政権から、首領様が二度までもなしとげた「政権交代」を経て、橋下が熱狂的な支持を集めたのちに、やはり二度までも政権を握った安倍晋三が改憲まっしぐらという流れは、あとから支持を得る者ほどより強く反動的であるという点で、元祖・ポピュリストとされるナポレオン3世がクーデターで第2帝政を始めるまでのフランスとよく似ているのではないかと思う今日この頃である。
「抵抗論 国家からの自由へ」

- 辺見庸 Yo Hemmi -

<安倍政権の暴走>
 安倍政権の暴走が止まりません。日本中の多くの人がこのままではまずいことになるのではないか?そう不安になっているずです。(2014年1月)
 それでも、日本にはアメリカからもたらされた民主主義があり、人々の多くは馬鹿ではないのだから、そのうち彼らの暴走には待ったがかかるはず、そう思っている方もまた多いかもしれません。しかし、すでに民主主義の母国アメリカの政治状況自体すでに新たなタイプの全体主義国家になってしまったという意見もあります。元々「民主主義」とは、自由であるがゆえに、国民さえ望めば「ファシズム」へも簡単に方向転換できるものなのです。

<逆全体主義の時代>
「・・・今生まれつつある政治システムを「逆全体主義」と名付けることにする。なぜ逆かというと、現在のシステムとそれを動かしている要員は、無制限の権力への欲求と攻撃的な膨張という点ではナチズムと同じであるが、手段や行動は逆転しているからである。例えば、ナチスが政権を取る前、ワイマール・ドイツでは、『街頭』は全体主義的志向のあるごろつき集団によって占められており、デモクラシーがあるとしたら、それは政府の中に限られていた。しかしながら、合衆国では、デモクラシーが最もいきいきしているのは街頭であり、いよいよ暴走しつつある政府こそが最も危ないのである」
シェルドン・ウォーリン(米国の政治学者)

 僕がなぜアメリカが好きかと言うと、アメリカの自由主義が素晴らしいからです。しかし、そんなアメリカの政治体制は、国民の自由に逆行するように一部の権力者が支配するファシズム体制に限りなく近づいてしまっています。(軍産複合体はその中心)それが今のアメリカを動かしている「システム」です。
 この傾向は今の日本にも、そのままあてはまります。いや、今やアメリカ以上に日本はその傾向が強まりつつあります。この状況は変えられないのか?それ以前に、なぜ今こんな状況になってしまったのか?新聞記者として働いた後、芥川賞受賞作「自動起床装置」(1991年)で小説家デビューをし、さらに講談社ノンフィクション賞受賞の「もの食う人びと」(1994年)でノンフィクション作家としての地位を確立した辺見庸の「抵抗論」を読みながら考えてみたいと思います。

 この時代、いずこにあっても議論、争論、激論のたぐいが、まるで忌むべき病のように避けられていることも知っている。怒りでも共感でも同情でもなく、嘲りや冷笑や、せいぜいよくても自嘲が話しに常につきまとい、議論の芯のことろをすぐに腐らせてしまう時代であることも私は知っている。
 じつは感覚がどこかやられてしまったのではないかと私は目星をつけている。私もあなたも、怒りをつかさどる感覚が機能不全におちいっているのではないか。いや、機能不全におちいらなければ、すなわち怒りを無化することなしにはやっていけない時代がすでにきているのではないか、と私は感じている。

 「怒り」のない時代だからこそ、その怒りが弱者に向けられるのが21世紀の日本だといえます。しかし、いつから日本人は怒ることを忘れてしまったのでしょう。少なくとも1970年代ぐらいまでは日本にはまだ「怒れる若者」は存在していたはずです。今、思い返すと、あの頃、「蒲田行進曲」や「熱海殺人事件」の作者・演出家のつかこうへいは、「テレビは馬鹿になる光線を発している」と警告を発していました。それに寺山修司もまた「書を捨てよ街に出よう」と叫んでいました。でも、僕も含めて日本人の多くはテレビにどっぷりとつかるようになり、いつしか思考停止の状態に安心感すら覚えるようになっていました。
・・・私たちはあまりに多くのことを思わないほうがいいとされるような時代に生きています。テレビや新聞は日々われわれに「思うな!」「考えるな!」といいきかせているようでもあります。あまりに深く、多くを思うと、生きること自体辛い時代です。むしろ、だからこそ「思え!」は大事ではないでしょうか。

 こうした状況の中、少しずつ日本型のファシズムが浸透し始めているようです。いや「浸透」ではなく我われが「招き入れた」というべきなのでしょう。

 マスメディアが深く深く介在するそこに、強権発動を少しも要しない協調主義的な日本型ファシズムが生成される微温かく湿った土壌がある。
 個体知の怒りはメディア知によって真綿で首を絞めるように殺され、消去されていく。おそらく犯意はどこにもない。

 日本型ファシズムを生み出した主体は右派政権ではありません。その右派政権を選んだ普通の日本国民であり、そうした意志をもつように世論を動かしたマスメディアの責任でもあります。(もちろん意識的に行ったとはいえません)それを著者は「国家にまつわる意思のように見えるもの」と称しています。

 こうした内面の自由の領域を侵害するものとは、いったいどのようなものなのか。・・・それこそが、「国家にまつわる意思のようなもの」なのではないか。やや抽象的だが、政府や警察権力や特定の行政機関の具体的意思そのもののみを意味するのではなく、それらを広く包摂する、国家幻想を背負った者たち相互の関係性の総体から醸成される空気に似たなにかである。

<国家とは何か>
 では「国家」とはそもそも何なのでしょうか?
 「国家」とは「ある国土に住む国民を守るために選ばれ組織されたシステム」といえるかもしれません。では国民を守るための国家は抜本的に「善」なるものと考えられるのでしょうか。そのことについて、エンゲルスはこう書いています。

「ひとびとは世襲諸君主国にたいする信仰から解放されて、民主的共和国を信奉するようになりでもすれば、まったくたいした大胆な一歩をおし進めたかのように思っている。しかし実際には、国家は、一階級が他階級を抑圧するための機関にほかならず、しかもこのことは、民主的共和制においても、君主制におけるとすこしも変わりはないのである。もっともよい場合でも、国家はひとつのわざわいであり、このわざわいは、階級的支配を獲得するための闘争で勝利をえたプロレタリアートにもうけつがれる」
エンゲルスによる「フランスにおける内乱」序文より

 元々「国家とは悪である」これは無政府主義思想のことでしょうか?いや、著者は「国家は悪であったとしても、存在を否定されるわけではないと考えているようです。考えてみれば、国家が悪だと考えるからこそ、「三権分立」という民主主義の基本が生まれたわけだし、その暴走を防ぐために「憲法」があるわけです。すべては、ここから始めるべきなのです。

<憲法の存在意義>
 ここで、国家を永遠の災厄とする考えにくみするのならば、なぜ、国家存立の基本的条件を定めた根本法である憲法を受容するのか、という問いに再び戻る。私の正直な答えはこうである。それは、日本の現行憲法の根幹が、言葉のもっともよい意味において、すぐれて「反国家的」だからだ。国家の根本法が反国家的とは、なんとすばらしいことであろうか。国家の最高法規が自身に制約どころか掣肘をくわえている。未来の暴走を予感してあらかじめみずからを厳しく拘束している。国家の基本法が国家の幻想を戒めている。

 日本国憲法における第九条は、そうした日本の目指すべき方向性を定めた重要な部分ですが、少しずつそのまわりは切り崩されつつあり、いつその改正案が国会に出されるかわからなくなりつつあります。1947年に文部省が発行し、1952年まで中学校で使われた社会科教科書の「新しい憲法のはなし」の中にこうあります。

「・・・このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦争の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」

 なんと美しく志の高い思想でしょう!「積極的平和主義」とはこのことをいうはずです!
 ただし、そんな理想論でいざという時、本当に国が守れると思うのか?今や、そんな声が大勢をしめつつあるかもしれません。確かに北朝鮮はもちろんのこと、中国の最近の政治姿勢は危険に見えます。しかし、「理想」を捨てた瞬間から、もう残されるのは「暴力」だけになるでしょう。そして、日本の方向転換はさらに事態を危機的な方向に向かわせ、負のスパイラルは歯止めが利かなくなるでしょう。どこかで誰かがその流れを変えなければなりません。現状では、そうした時代の流れをかろうじて止めることができる最後の砦が「憲法九条」です。

「・・・国軍を持たないこと、そして国が開かれていること、いざとなれば国民が自由に政府をリコールできる法的装置が整い、国民にその実質的な力が備わっていること、これが僕の考える理想国家の条件です」
吉本隆明「わが『転向』」より

 国家は他者から見て初めて国家としての姿をもつ。だからこそ、周囲から見た日本の姿を常に意識する必要があるはず。他国からどう見えようと関係ないと思った時、その国は方向性を失い、全体主義という思い込みからなる愚かな「裸の王様」になってしまうのだと思います。

「国家は共同幻想だというのは、内部から見た時にのみ言えることです。国家は、何よりも他の国家に対して国家なのです。共同幻想という考えは、そのような外部性を消してしまいます」
柄谷行人「倫理21」より

<マスコミへの批判>
 著者はこうした状況を許しているマスコミの現状について、厳しく批判しています。例えば、9・11以後に行われたアメリカ軍によるイラクへの報復攻撃とそれに対するイラクでのアメリカ軍へのテロ攻撃?についての報道はどうだったでしょうか?

・・・イラクで今起きていること、あれは単なるテロでしょうかね。家族を殺され、自国を理不尽に占領された者たちのレジスタンス、抵抗運動じゃないですか。日中戦争のときの八路軍、のちの人民解放軍、あれはテロリストですか。、南ベトナム解放戦線の反米闘争、あれはブッシュがいうような意味でのテロですか。・・・新聞はなぜそれを抵抗と書けないのか。宿命的に権力的だし、政府的なんですよ。マスコミというのは。

 結局イラクには疑われていた大量破壊兵器など存在しませんでしたが、アメリカは散々国を破壊し、多くの一般市民を殺しても裁かれることがありませんでした。そのことを新聞はほとんど書いていません。著者が新聞社を辞めたのはそうした現状に自らけじめをつけたかったこともあるのでしょう。

・・・例えば大学もテレビ局も市場原理のなかにある今日的メディアであるということ。そこの空気では批判的言説が育たない、ということ。というより、批判的言説は居場所がない。大学もテレビも、もっぱら「非政治的」というあざとい政治性と愚昧な思想を外の世界に発信している。

・・・マスメディアを人間個体のように人格的存在のように考えるのは錯覚だと思います。個体は内省したり反省したりしますが、メディア総体は反省したりしないし、「良心」なんかもちあわせちゃいない。だから、期待をつなげるとしたら、個別の新聞社などの報道機関ではなくて、群に固化しない例外的な記者個人だとぼくは考えています。・・・

 著者は新聞も含めたメディア全体と大学も含めた教育機関に絶望しているのですが、自分も含め最後には個人の意識の問題としています。そして、改めて重要なこととして「国家からの自由」について書いています。

・・・大学やマスメディアがすでに失いつつある自明性のなかでも、もっともかけがえのない理念とはいったい何でしょうか。ぼくは、「国家からの自由」というじつに尊い共通認識といいますか理念がそれだと思います。

 「国」を愛することは、その国の自然、文化、国民を愛すること。それに対し、「国家」を愛することは、その国の「システム」を愛することであり、根本的に違うことです。ましてや「国家を愛せ」という強制や教育が行われる時代は、「国」を動かすシステムを愛せということであり、人を愛することではありません。
 税金をちょろまかして懐に入れる政治家よりも、「国家を愛せよ」と自らの愛国心を押し付け、その行為に酔う不気味な政治家の方がずっと怖いし、危険です。それをいち早く見分けなければ。また日本は安倍さんの祖父の時代へと退行してしまうことになりかねません。
 
2016年06月19日

首相安倍晋三と副首相麻生太郎,お坊ちゃま風お2人様の「脳天気なデタラメ・ずぼら政権」が「国民よ,そこのけ,お馬とお鹿が通る」流の傲慢と横柄の日本政治


【どこまでつづくのか,この世襲政治家たちの堕落・腐朽した国内政治】
【国民・市民・住民・庶民に迷惑ばかりの,幼稚な政治家たち】



 ①「『ネット情報』うのみ,蓮舫氏について発言 自民・菅原衆院議員,すぐに一部訂正」(『朝日新聞』2016年6月18日朝刊)

 自民党の菅原一秀衆院議員は6月17日,東京都知事選をめぐる党会合で,民進党の蓮舫代表代行について,「五輪に反対で『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』とみずからのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言した。

 菅原氏は朝日新聞の取材に対し,「蓮舫氏のブログではなく,ネットで流れていた情報だった」と訂正したうえで,「五輪に後ろ向きな人が知事になれば困るので,自民党が候補を出すべきだとの趣旨。帰化した人が知事になってはならないという趣旨ではない」と説明。蓮舫氏は取材に「(帰化して泣いたというのは)デマだ。国会議員がこのレベルの書きこみを真剣に受けとって発言するとは驚きだ。五輪・パラリンピックについては成功を期待している」とコメントした。

 蓮舫が日本国籍と取得した事実については,彼女の履歴をしっておく必要がある。,ウィキペディアには「日本の企業との間で貿易業を営んでいた父・謝 哲信と,『ミス・シセイドウ』だった日本人の母・斉藤桂子の長女として東京都で生まれた。台湾系日本人。青山学院幼稚園,青山学院初等部,中等部・高等部,青山学院大学法学部公法学科卒業。1995年から1997年にかけては北京大学漢語中心に留学と解説がある。

 現時点では,こういう組みあわせの父母から生まれた子は,日本国籍をもっているゆえ,前段のような発言はお話にならない程度に,故意の悪意に満ちていると受けとることもできる。それにしても,元外国〔籍〕人は信用ならない,「帰化した人間は信頼しないほうがいい」とでもいった「国籍的な差別意識」が正直に発露されている。もともと純ジャパ〔の日本人〕ならば,誰でも完全に信用・信頼できる人間しか,日本社会のなかにはいないのかといえば,とんでもない。その証拠には日本にもやはり警察も裁判所もちゃんとあるのだから,という話になる。

 結局,もともとつぎのようにたしなめられている話題なのであったが,どだい,おかしな話題の進行:脱線状態であったというほかない。この記述は2012年でのものである


◆ 蓮舫「18歳で日本に帰化するように父に言われ屈辱的だった」→横浜市議「事実なら日本人やめて」◆

=『保守速報』2012年09月24日05:33,カテゴリ:民主党=


 いやはや,実に日中関係をめぐり,アツい議論が巻き起こった1週間ではありましたが,とんだところからとばっちりを受けたのが蓮舫議員です。彼女は台湾出身なわけですが,18歳の時に日本に帰化するよう父親から伝えられたとき齋藤達也画像に「屈辱的だった」と話したという説に,横浜市議の斉藤たつや氏が「これが事実ならば,日本人を止めていただきたい」とツイッターで発言しました。
 補注)ここにおける理屈には「論理の飛躍」どころか,文句を出して〔イチャモンをつけて〕いる側が,もとより手前勝手な〈思いこみ〉を露わにしていた。最初から決まっている特別製の定式があり,これに「合わない奴」の登場を非難・攻撃する手法であるが,いわんとする中身がただ没論理的であって,第3者に対して納得させうる材料に欠いている。

 その後,斉藤氏に同調する人びとの存在に気を良くしたのか,同氏はガンガン「レンホウ議員が屈辱と感じていることを,日本破壊の方向につなげなければいいなと心配しています」などと愛国発言をするわけですね。最終的には, “「18歳のあなたにとっては帰化しろといわれたときどうでした?」という質問に,お答えいただければありがたいです”と蓮舫氏にツイッターで呼びかけました。

 しかし,冷静なツイッターユーザーから “当然のこととして,一般国民が「個人的主観を理由」に,他の国民の国籍放棄に言及するのは,人道的差別です」” とやんわりいわれ,斉藤氏は「要は,経緯はどうあれ,日本の国会議員なのだから,日本の国益のために活動してもらうことを願っています」とトーンダウン。

 まぁ,愛国をネットで謳うことにより,支持をえようと考えた節が斉藤氏にはあるわけですが,1人の人間を公人・私人どちらであれ,国籍についてネチネチと言及を続けるのはあまり美しくはないですね。

 それにしても,斉藤氏,ずっと「レンホウ氏」と書くわけですが,パソコンの予測変換で「蓮舫」と出ないんですかね。あれだけ名指しするんだったら,辞書登録するか,Google日本語変換を導入すべきと老婆心ながらアドバイスしたいと思います。

 さて,蓮舫の政治家に関する以上のごときやぶにらみの話題は,桝添要一都知事の辞職したあとに都知事立候補者に誰が名のり出るのかという話題につながって,出てきたものであった。最近の安倍晋三自民党政権は,速成陣笠議員の数ばかり多いせいか,政治家としての言動面においてはろくでもない発想を披露してくれる者が多い(斎藤は市議だが)。この首相にしてこの自民党議員連というたしかな印象がある。

 ② 『日本経済新聞』2016年6月17日「春愁」の言及-桝添都知事の問題だけが政治家の問題か果て案-

 この日経のコラム「春秋」は,「サンドイッチ疑惑」をとりあげることよりも大事なことがあると指摘する。桝添都知事の問題ばかりで大騒ぎしていたマスコミに釘を刺している。

 桝添都知事の場合は「金額がセコい,そして判りやすいのである。これが何千万何億何十億だと,ちょっと別世界の話になるからおかしなものだ。あの甘利 明さんの1件は,結局どう説明されたのか。2020年五輪招致をめぐる『コンサルタント料』の謎は……。世の中がタマゴサンドで留飲を下げているうちに,うやむやの術が効いてくるんじゃないかと心配になる」というのであった。
 補注)そういえばつぎのようなニュースもあった。少し長目だが,ともかく引用しておく。
 2016年「5月11日付英紙ガーディアンの報道をきっかけに白日のもとにさらされた東京五輪招致をめぐる疑惑の背景には,こんな事情がある。ガーディアンの報道は,「招致委員会がシンガポールの『ブラック・タイディングズ(BT)』社に130万ユーロを振りこんだ」というもの。

 仏検察当局は翌日,「『東京2020オリンピック招致』という名目で,日本の銀行に開設された口座から総額280万シンガポールドル相当の資金移動を察知」「2020年オリンピック開催地の指名過程において汚職および資金洗浄がおこなわれたか否かを確かめるため,予審開始請求をおこなった」という声明を発表した。

「コンサルタント料だった」としてBT社への支払いを認めた元招致委理事長,JOCの竹田恒和会長の国会答弁などによると,支払いは2013年9月の招致決定を挟み,国際ロビー活動などの契約で7月に約9500万円,成功報酬の意味合いを含む勝因分析の名目で10月に約1億3500万円の計約2億3千万円。竹田会長は「業務への対価で正当な支払い」と主張する。

 ところがこのBT社,経営者のタン・トンハン氏が,国際陸上連盟前会長で20年大会招致レース時はIOC古参委員として影響力のあったラミン・ディアク氏の息子パパマッサタ氏と関係が深いとされる。ロシア陸上界のドーピング隠蔽(いんぺい)疑惑を調べた世界反ドーピング機関の独立委員会報告書にも名前があった,いわくつきの会社なのだ。

 招致は「カネの力」で勝ちとったものだったのか。JOCは支払いの違法性を調査するため,弁護士をトップとする調査チームの設置を決めた。メンバーはJOCや東京都職員など,主に身内で構成する見通しだ。

〔日経コラム「春秋」に戻る→〕 どうも,日本人は忘れっぽい。四季の移り変わりに流されて,大事な事件を忘れていく。舛添氏のせこい話が面白く,そこに乗せられているうちに,大事なことを忘れてしまう。これは,過去もそうである。

 問題の内容は違うが,つぎへつぎへとマスコミも話題を移し,問題解決をしない。この問題解決をしないのが,高度なテクニックなのか,私たちが愚かなのか。そのため,同じような事件が起きては,また起きる。新たな話題で未解決かと思えば,首を挿げかえて一件落着,問題解決。これでは,不正は愚かなまま永遠に続くのである。卵サンドも大事だが,巨額な資金の動きの方が気になる。

 つまり「桝添都知事の政治資金:不適切使用問題」のお祭り騒ぎ的な,集中砲火のような報道もいいけれども,もっと地道に追及する肝心な話題が残されているのではないかという指摘である。わけ甘利画像4ても,甘利 明元経済産業省大臣の贈賄集疑惑事件のその後は,実に甘いというか,はじめから検察庁は逃がすつもりだったと勘ぐられて当然の対応ぶりであった。検察庁も安倍晋三政権の味方?

 --「特捜検察にとって “屈辱的敗北” に終わった甘利事件」(『郷原信郎が斬る』2016年6月1日)は,関連する事情をこう批判している。この記述から適当に論旨を拾い紹介する。


 a) 東京地検特捜部が,甘利元経済再生TPP担当大臣とその秘書のあっせん利得処罰法違反事件について,すべて「嫌疑不十分で不起訴」という処分をおこなった。特捜検察にとって, “屈辱的敗北” であり,まさに「検察の落日」である。時の政治権力に屈することなく,「厳正公平,不偏不党を貫く」というのが,検察の矜持だった。その検察を象徴する存在であった「東京地検特捜部」の看板は,地に堕ちたといわざるをえない。

 b) 甘利氏への現金供与の目的とそのさいのやりとりなどは,すでに『週刊文春』で報じられている薩摩興業側の総務担当者の話からも相当程度明らかであり,検察の手に寄らなければ犯罪の成否が判断できないというわけではない。今回のような「絵に描いたようなあっせん利得事件」が不起訴で決着すれば,もはや,この法律は,有力な国会議員による悪質な口利きと対価受領の事案に対してまったく使えないことになってしまう。要するに,与党議員ならやりたい放題だということだ。
 c) 今回の不起訴の直前の5月24日に,法務省にとって最大の懸案だった「日本版司法取引」「盗聴の拡大」等を内容とする刑訴法改正案が成立したことと,今回の甘利事件の不起訴処分との関係にも疑いの目を向けざるをえない。検察の屈辱的敗北が,「検察の落日」だけではなく,公正さを亡くした「日本社会の落日」とならないよう,今後の展開を期待したい。

 --このように体制側:与党側に生息している政治家であれば,明らかな贈収賄事件を起こしていても,平気でその追及からのがれられるような,ずいぶんいいかげんに融通性がある政治社会が現象している。桝添都知事騒ぎの影で,甘利 明はいままで国会を40日ほどずる休みしていた,最近ノコノコと顔を出してきた。これでもりっぱに日本の政治家が務まるのだから,政治家も3日やったら止められない(辞められない?)ということか。

 ③「世界経済どっち? 首相『大きなリスク直面』,月例報告『緩やかに回復』」(『朝日新聞』2016年6月17日夕刊)

 1) まえおきの文章
 5月に伊勢志摩サミットで開催されたG7で安倍晋三君は,日本経済というか世界経済に関する最近の現状は「リーマン・ショック寸前の危機に似ている」といった自説を,先進諸国の首脳たちに対してじかに披露していた。ところが,この見識は軽く一蹴される顛末になっていた。

 安倍晋三のその発想は,国際会議の場を安倍流に国内行政面に悪用しようとしたみえすいた魂胆であった。もっとも,自国内の専門部局ですら否定している経済情勢分析・認識すら,否定し,超越した方向で,それも自分流の理解をデッチ上げながら,よりによってG7の場において,自分の意見がもとより通用するような相手でもない各国首脳に対して,その危機「感」を訴えようとしていた。もちろん7月10日に実施される参議院選挙用のアドバルーンとして,その意識的(無意識的?)に間違った見解を捏造していた。

 ドイツのメルケル首相やフランスのオランド大統領あたりは,相当に鼻白む感じで安倍晋三に対していたという指摘もあるくらいである。日本を代表してわざわざ伊勢神宮近辺に先進国首脳に集まってもらいながら,みずからが日本国代表の恥さらしを演技していたとなれば,この首相はみずから恥さらしをしたことになる。

 2) 記事本文の引用
 世界経済の現実はどっち? 安倍晋三首相が消費増税を再延期する根拠のひとつに「世界経済が大きなリスクに直面している」ことを挙げたのに対し,内閣府が6月17日発表した6月の月例経済報告では,海外経済は「緩やかに回復」と前月から景気判断を変えなかった。首相と,経済分析を担当する内閣府の景気認識をめぐる温度差が浮き彫りになった。

 月例経済報告では,「新興国の景気が下ぶれし,国内景気が下押しされるリスクがある」とする一方,海外経済については「全体としては緩やかに回復している」との表現を5カ月連続で変えなかった。石原伸晃経済再生相は17日の記者会見で「海外のリスクの高まりは(首相と月例経済報告の間で)共通認識としてある」と述べた。月例経済報告では国内の景気判断について「弱さもみられるが,緩やかな回復基調が続いている」との判断を据え置いた。

 --こういう事実は最低限でも,伊勢志摩サミットG7に参加した各国首脳は先刻,察知していたはずである。おバカさんが「うまくだませる相手」は,やはり「同じおバカさん」でないと無理であることは,誰にでも判りやすい道理である。ただし,その理屈でさえ判って〔気づいて〕いないのが安倍晋三君。そして,この彼,またもや民度の低いというか,民主主義の基本すらわきまえていない発言を,国際会議においておこなっていた。程度が悪すぎて批評する気もなくなりそうになるが,がまんしながら次項の記述に移る。

 ④「首相『「気をつけよう,甘い言葉と民進党』『民共批判』演説」(『朝日新聞』2016年6月14日朝刊)

 「気をつけよう,甘い言葉と民進党」。安倍晋三首相は6月13日の街頭演説で,参院選で共産党と選挙協力を進める民進党をこんないいまわしで批判した。これに対し,民進党の岡田克也代表は「ちょっと度が過ぎている。きわめて遺憾だ」と強い不快感を示した。
これをもじっていうと「気をつけよう へたな言葉と自民党」。

 首相は街頭演説で,連日のように「民共批判」を展開。13日も大分市の街頭演説で「野党統一候補の実態は共産党と民進党の統一候補。だまされてはいけない」などと訴えた。これに対し岡田氏は,東京都内で記者団に「総理大臣の言葉なのかと思う。共産党が大嫌いだという感じをおもちなのかもしれないが,公党に対して失礼だ。まるで,非合法政党みたいな扱い方だ」と憤った。

 --それはそうである。警察庁・公安庁・自衛隊など体制側の警備・治安・軍部当局側はそろって,日本共産党を敵視している。天下のりっぱな公党であるこの共産党であっても,反体制側である政党として,けっして信用していない。潜在的・現実的な犯罪性を潜在させる政党としてしかみていない。

 そもそも民進党などと共産党を,7月10日に予定されている参議院選挙で連帯させ,統一候補を準備させるための原因を作ったのは,ほかならぬ自民党政権である。国民:有権者の側でも共産党を支持し,選挙でこの党に1票を入れる者は大勢いる。その党をとらえて戦前・戦中の治安維持法そのままの政治感覚での発言を,安倍晋三は放っていた。民主主義の基本である相互寛容の精神がゼロである。

 日本共産党に問題がないわけではなく,大ありである。だが,そのような次元でものをいえば,自民党も公明党もかなりひどいものである(この2党の野合性は天下一品である)。「目くそと鼻くそ」のごとき話題になるからこれ以上触れない。ともかく,安倍晋三のいい方は,品位・品格以前の下劣さ・稚拙さがめだつ。
 彼が真似をしていったもとの文句は「気をつけよう 甘い言葉と 暗い道」というものであった。もともと冗談の空間でモノを解説しているアンサイクロペディアは,つぎのように記述している。

 「これは,夜道で女性が暴行された場合,被害者の女性にも責任があるかのように錯覚させることを前提にして,できているかのように錯覚する女性もいるのではないかと何者かに錯覚させている」。

 これは,錯覚したくなくとも,その前によくは理解できないような説明であるが,安倍晋三の文句のほうは,日本共産党をひたすら敵視する感覚でモノをいっているだけに,とても判りやすい。もっとも,国会での議論(論戦)ではいつも,共産党の議員にいやられっぱなしの安倍なものだから,悔しくそのようにいっている感もある。


つぎにかかげる画像資料は,アベノミクス登場直後からこれをアホノミクスと蔑称してきた経済学者浜 矩子の新著の案内である(KADOKAWA)。

 敵視する政党であっても何党であっても,民主主義の原理・手順にのっとって議員団を国会に送りこんでいることに変わりない。だが,この政党:日本共産党をまるで暴行犯でしかありえないかのように「騙る安倍晋三の口調」は,人間的な品性そのものとしてから問題があり過ぎる。

 その程度の人間が,日本国の首相をすでに2期務めており,4年半もの〈長期間〉にわたり,総理大臣としてデタラメ采配をおこないつづけている。そしてさらにいえば,この首相が首相であって問題があるけれども,悪いことにさらに,副首相もまた似通ったような人物である。この話題の人,実は以前,首相もやったことがあるというのだから,事態はまさしく悲劇的な様相を超克しきって,ほとんど,完璧に喜劇。
  ブログ『空瓶通信……夜の小話』(2014年01月30日)は題名「気を付けよう甘い言葉と暗い道」として,つぎのように安倍晋三の発言を混ぜっかえしている。安倍がこの文句を口に出す以前の記述である。


◆ テーマ:夜の小話 ◆

 最近美しい言葉が流行ってますね。広告機構とかのCMでしたっけ? ああいうの好きではないです。気を付けよう甘い言葉と暗い道。昔からそういいますよね。

 ※「お金より大切なものがある」 お金より大切なもの,たしかにありますが,それすら,お金がなくては守れない。

 ※「世界は仲間・・〔人類〕皆兄弟!!」 仲間とか兄弟でなければ外される。実際そうですから。

 ※「国家・国民の安全を守る」 そのために戦争ですか。死ぬのは若者ですよね。彼らは誰が守るんですか?

 ※「快適な生活・安全な社会」 そのためにボロボロになるまで働く。皆,働き過ぎ!!

 ※「絆がアナタを支えます。」 誰が私を守るって???? 頼れるのは自分ですよ。
 ※「日本は1つ」 嘘つけえー・・!! 鳥取県なんて誰もしらんくせに!!
なお,引用では補正をくわえた。この筆者は鳥取県在住か?
 ⑤「『90歳で老後心配,いつまで生きてるつもり』麻生副総理が発言」(朝日新聞2016年6月19日朝刊)

 自民党の麻生太郎副総理兼財務相が6月17日,北海道小樽市での講演で「90歳になって老後が心配とか,わけの分かんないこといっている人がこないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながらみてました」と語った。麻生氏自身も75歳だが,高齢者への配慮に欠けた発言として批判が出ている。
 麻生氏はこの日,小樽市の党支部会合で「1700兆円を超える個人金融資産があるのに消費が伸びていない」などと指摘するなかで「90歳の老後」に言及した。みずらの祖母が91歳まで元気だったと紹介し,「カネはいっさい息子や孫が払うものと思って,使いたい放題使ってましたけど,ばあさんになったら,ああいう具合にやれるんだなと思いながら眺めてました」とも語った。貯蓄より消費が重要として「金は使って回さないとどうにもならない」とも述べた。
 補注)麻生太郎など一族の「家」の経済状態だから,こういう話も成立しうるのである。ここに書かれているとおりに「老後の人生」を過ごせている「90歳」前後のジィーバは,はたしてどのくらい居るか?

 この点を説明してくれる統計・資料は多分ないはずだから,推測でいうほかないが,老人介護の問題で多くの人びとが苦労しているいまの日本社会のなかで,「カネはいっさい息子や孫が払うものと思って,使いたい放題使ってました」といった麻生太郎のバーバの場合を例に挙げて,日本社会における一般的な「老後の人生」問題が語れると思ったら,大きな間違いである。
 それに麻生太郎の祖父が91歳まで生きた時代とは,いったい何年ころであったのか? だいぶ以前になる。半世紀も昔の話である。時代背景的にもおそらく,いまに通用するような話ではなくなっている。

 麻生家でなければなかなか通用しないような社会認識を,いかにも普遍性があるかのように,それもあのしたり顔で語っていたとしたら,説得力はないに等しい。安倍晋三の金銭感覚もすでに問題になっていたが(例のパート労働者の日給月給が25万円にもなるとの無知を口にしていた件),この麻生太郎も地方財閥の一族の1人として,どうしてもトンチンカンな発言が多い。

 --つづいてここでは,こういう引用をしておく。


★ マスコミが書かない麻生財閥の深い闇 ★
=『杉並からの情報発信です』2008年10月22日 =


 麻生財閥(麻生グルー プ)は現在,麻生ラファージュセメント(株)を中核に64社,総売上1,380億円,社員数6250名を数える九州屈指の企業グループである。麻生太郎氏 は,祖父麻生太吉氏,父麻生太賀吉氏の後を継ぎ,1973年にグループ中核企業の麻生セメント(株)の代表取締役社長に就任していた。
 1979年の衆議院議員選挙で初当選し政界に転進して家業を実弟の麻生泰氏に譲ったからといって,麻生太郎が麻生財閥の3代目当主でった事実は消せない。当主として戦前の麻生炭鉱の暗い歴史の責任から逃れられないのは,当然のことである。

 なぜなら,安倍晋三元(現)首相,福田康夫元首相に続いて,総選挙での国民の審判を受けることなく,自民党総裁選で勝利して2008年9月に第92代内閣 総理大臣に彼が任命されたのは,麻生財閥のもつ財力であり,その大部分は,戦前の麻生炭鉱に強制連行されて来た朝鮮人労働者1万人をただ同然で酷使して搾 取した巨額の未払い賃金がその源だからである。

 戦前の麻生炭鉱で10,000人の強制連行朝鮮人を強制労働させ,賃金をそっくり搾取す ることなくしては,現在の麻生財閥はありえず,したがっていまの麻生太郎内閣総理大臣もありえなかったといっても過言ではない。戦前の麻生炭鉱での劣悪な 労働条件の実態は,下記URLの調査報告書「麻生炭鉱の強制労働」(戦時強制労働の調査「人権平和・浜松」)に詳しく書かれている。
 この調査報告書のなかで,強制連行朝鮮人労働者がどのように働かされ支配され,搾取されていたのかが詳しく書かれている。たとえば,こう書かれてもいる。

 「納屋の布団は万年床で真っ黒であり,交替制で誰かが寝た。人繰りが毎夕入坑の督促をし,二交替制だったが,〔朝〕5時に入坑して昇坑が〔夜〕10時ということも珍しくなかった。坑口から600メートルを人車で行き,そこから切羽まで歩いた。朝鮮人が危険なところを担当した。検炭係がボタの量を見て函引きし,賃下げを した」。

 「低賃金で遅配が多く,食事も衛生も悪かった。納屋の頭領は賃金の3割ほどをピンハネした。労働災害があっても朝鮮人には適用されなかった。納屋では独身坑夫が死んでも朝鮮の故郷にしらせないことが多かった。遺族に弔慰金や補償金を支払うのが惜しく,アリラン集落の下の無縁墓地に埋めて知らん顔だった。1934年のガス爆発の時には生存者がいても密閉したために朝鮮人が入坑を拒否した。
 註記)『林・記録』305~,321頁。

 また,朝鮮労働者がどのように強制連行されたのかの具体的な証言も書かれている。
〔記事の引用(残りの部分)にようやく戻る→〕 麻生氏の発言に対し,民進党の岡田克也代表は大分県由布市で「国は年金や医療,介護制度で,高齢者の不安に応えなければならない。私は非常に怒っている」と批判した。(記事引用終わり)

 --要するに,現在の日本社会において重大な問題になっている老後生活・老人介護などの問題に対して,この麻生太郎には発言する資格がない。発言したところで,前段のように大きく的を外した盲論にしかなっていない。

 大金もちの財閥一家のなかで余生を過ごしてきた「太郎のおばあさん」のことだったからこそ,また幸いにも耄碌もせず(もうろ麻生太郎画像7く:認知症にならずに),思う存分に浪費するお大尽の生活をできていた。したがって,この実例に関していえば,庶民の平均的な生活実感とは無縁のものである。 麻生太郎君,この文句の意味を「判っていっているようには聞こえない」。
 ましてや,安倍晋三政権が庶民に要求しているらしい「3世代同居生活」など,昨今の平均的収入しかない家庭・世帯にとっては非常な重荷となっている。実際,同じ屋根の下に住んでいるのに,父母の介護すらしない(できない)で死に至らせている場合があり,また老齢の父母が死亡したあと,そのまま部屋のなかに放置しておいたりする〈事件〉も発生している。

 そこまでに至らなくても,老齢の父母が介護ホームに入所する問題は,子どもの世代層にとってはたいそうな負担である。父母自身がホームに入居するための資金を十分に準備でもしておいてくれればまだしも,そこまでできる父母はけっして多数派ではないはずである。なにもかも問題だらけという状態である。

 麻生太郎君,そもそも,君はこうした類いのあれこれ・もろもろの現実が,まともにみえているのか? 自分の祖母の特殊な事例では参考にならない。この問いかけはさておき,学術的にまともな知見に,関連する事情を教えてもらおう。

☆「筒井淳也(計量社会学),三世代同居促進政策は有効か-データから見えてくること」☆=『SYNODOS』2016.01.27 =

 昨〔2014〕年から,にわかに「三世代同居」が政治的な議題に上がるようになった。

  2015年3月20日に閣議決定された「少子化社会対策大綱」では,「祖父母等による支援:家族において世代間で助けあいながら子や孫を育てることができるようにするため,三世代同居・近居を希望する方がその希望を実現できるよう三世代同居・近居を支援するための優遇策等の方策を検討する。また,UR賃貸住宅による三世代同居・近居への支援を引き続き行う」(施策の具体的内容)とある。
 --この間の中段を大幅に省略して,
 以下の結論に進む(飛ぶ)--

 個体ごとにみたときも(つまり同一個体の異時点間を比べた場合でも),同居率と出生率は正の相関にあることがわかる。しかし,「三世代同居を推進すれば出生率は上昇する」という結論までは,まだ遠いのだ。

 さて,政権・体制側に対してはいつも辛口の報道しかしない『日刊ゲンダイ』に,以上に該当する内容をどのように書いているか,つぎの記事に聞いてみたい。

 ⑥「麻生大臣また失言『90歳,いつまで生きているつもりだ』」(『日刊ゲンダイ』 2016年6月18日

 麻生太郎財務相(75歳)がまた失言だ。6月17日,北海道小樽市での自民党支部大会の講演中,「90になって老後が心配とか,訳の分からないことをいっている人がテレビに出ていたけど,『おまえいつまで生きているつもりだ』と思いながらみていました」といってのけたのだ。

 麻生大臣は国内の個人消費が伸びない経済の現状について,「あったらその金を使わなきゃ,なんの意味もない。さらに貯めてどうするんです」と指摘。その後に冒頭の発言をした。

 麻生大臣は2013年1月にも「政府の金でやってもらっていると思うと,ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうとか,いろんなことを考えないといけない」と高齢者批判をして,撤回していた。

 この麻生太郎,「バカは死ななきゃ治らない」の典型的な一事例である。安倍晋三は「傲慢で幼稚」「暗愚で無知」「恥知らず」とまで非難されてきたが,この太郎君はなんといわれればいいのか? 「驕慢で稚拙」「軽率で無恥」「常識的感覚ゼロ」とも形容したらいいのかもしれない。

◆ 麻生太郎の部落発言について ◆

 「麻生太郎による部落差別,野中広務に対する発言」の問題。……2008年9月ごろにネット上に出ていた話題である。ウィキペディアにはすでにそのまとめが出ているが,ここではつぎのような文章を拾い紹介しておく。

 --野中氏は政治家となる前は「大阪鉄道管理局」に勤めていた。彼はそこでまじめに働き,有能だったため同期のなかで一番出世した。しかしあるとき野中氏が隠していた「部落出身者」という事実が職場でしれわたると,彼の出世を妬む人間により職場に居づらくなった。結局,野中は退職し,差別をなくすために政治家となることをめざした。
 そのような政治家としてのアイデンティティ(原点)すら否定される発言をされれば,一生恨みをもたれるのは当然である。これと魚住昭野中表紙いった苦労もせずに政治家になった麻生は,人を慮った言動ができていない。野中広務に対しての『被差別部落出身者発言』。いまだなんの説明もしてない。このまま逃げつづけて,総裁になるつもりか?

 私は許せない。単なる失言とはいえない部類のものだと思う。『あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなぁ』〔と麻生はいったのである(本人は否定しているが,野中は3名以上の証人からその事実に関する裏をとっていた)。

 だが,その発言をなかったことにして,やり過ごしていいのか? アイヌ民族の問題なども最近あらためて話題になっている。いったならいったで,認めたらどうか? 逃げ得は許せない。皆さんは,どう考えるか? 軽い問題か?
 ここで日本社会における差別問題のいくつかが出そろった。在日韓国・朝鮮人,部落出身者,アイヌ(ウタリ)などの問題である。さらに,女性差別や性的少数者差別,障害者差別もある。

 麻生太郎はそのうち間違いなく2つに対して,すなわち,企業組織と政治組織において他者に対する差別意識を,いいかえれば,自分:同族の会社にかかわる歴史問題として制度・客観的に,そして自民党政治家としての差別発言問題として個人・主体的に,それぞれかかわってきた。
一等国民日本人, 二等国民朝鮮人, 三等国民中国人が, いまでは

第1の国民と第2の国民とが定着している現代日本の格差社会。かつては一等国民日本人,二等国民朝鮮人,三等国民中国人が,いまでは……


【新自由主義・規制緩和政策・反民主主義・非平等主義・扇動主義(ポピュリズム)のアベノミクス・アベノポリティクス】


【そして,そのアベコベミクス・アベノリスクの効果ばかりが発散されてきた,経済の現実と社会の機能】


 ① 歴史社会学者・小熊英二「〈論壇時評〉二つの国民 所属なき人,見えているか」(『朝日新聞』2016年5月26日朝刊)
小熊英二画像
 ※ 執筆者紹介 ※ 「おぐま・えいじ」は1962年生まれ,慶応義塾大学教授。

 『単一民族神話の起源』(新曜社,1955年)でサントリー学芸賞,
 『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社,2002年)で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞,
 『社会を変えるには』(講談社,2012年)で新書大賞,
 『生きて帰ってきた男』(岩波書店,2015年)で小林秀雄賞を受賞。
 a) 19世紀英国の首相ディズレーリは,英国は「二つの国民」に分断されていると形容した。私見では,現代日本も「二つの国民」に分断されている。

 そのうち「第1の国民」は,企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。

「第2の国民」は,それらの組織に所属していない「非正規」の人々だ。

 この分断の顕在化は,比較的最近のことである。私が国立国会図書館のデータベース検索で調べたところ,雇用関連の雑誌記事の題名に「非正規」という言葉が使われたのは1987年が初出だ。そしてそれは2000年代に急増する。

 それ以前も「パート」「日雇い」「出稼ぎ」などはいた。だが,それらを総称する言葉はなかった。「パート」や「出稼ぎ」でも「正社員の妻」や「自治会員」である人も多かった。単に臨時雇用というだけでない「どこにも所属していない人びと」が増えたとき「非正規」という総称が登場したともいえる。

 彼らは所得が低いのみならず,「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。関係を作るのに苦労し,結婚も容易でない。

 b)『週刊東洋経済』の特集「生涯未婚」は,「結婚相談所なんて正社員のためのビジネスだとわかりました」という34歳男性の言葉を紹介している(特集「生涯未婚」『週刊東洋経済』2016年5月14東洋経済2016年5月14日号表紙日号)。

 女性の7割は年収400万円以上の男性を結婚相手に期待するが,未婚男性の7割は年収400万円未満である。その結果,男女とも結婚できない。

 50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚者」は,2035年には男性で3人に1人,女性で5人に1人になると予測されている。

 これは所得の問題だけではない。昔なら低所得でも,所属する企業・親族・地域の紹介で「縁」がもてた。所属のない人びとはそうした「縁」がないのだ。

 こうした「第2の国民」は,どの程度まで増えているのか。統計上の「非正規雇用」は4割だが,藤田孝典は「一般的に想像されるような正社員は実は急減している」という(藤田孝典・白河桃子「対談;婚活ブームを総括しよう」『週刊東洋経済』2016年5月14日号)。

 労組もなく,労働条件も悪く,「10年後,20年後の将来を描けない周辺的正社員」が増えている。そして「彼らの増加と未婚率の上昇はほとんど正比例」というのだ。

 低収入で家族もいない人が増加すれば,人口減少だけでなく,社会全体の不安定化に直結する。〔2016年〕1月に犠牲者15人を出したスキーバス事故の背景に,高齢単身運転手の劣悪な労働・生活状況があったことはテレビでも報道された(テレビ番組・NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」2016年4月30日放送)。

 c) それにもかかわらず「第2の国民」が抱える困難に対して,報道も政策も十分ではない。その理由は,政界もマスメディアも「第1の国民」に独占され,その内部で自己回転しているからだ。

 日本社会の「正社員」である「第1の国民」は,労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け,彼らを保護する政策を実現できた。

 もちろん「第1の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方,保守と革新の対立などだ。〔19〕55年体制時代の政党や組織は,そうした対立を代弁してきた。いまも既存の政党は,組織の意向を反映して,そうした伝統的対立を演じている。

 報道もまた,そうした組織の動向を重視する。新聞紙面をみるがいい。記事の大半は政党・官庁・自治体・企業・経済団体,労組といった「組織」の動向だ。一方で「どこにも所属していない人びと」の姿は,犯罪や風俗の記事・コラム・官庁の統計数字などにしか現われない。

 政党も報道機関も,「組織人」と「著名人」しか相手にしない。というより,組織のない人びとを,どう相手にしたらよいか分からない。私はある記者から,こんな話を聞いたことがある。

 福島原発事故後,万余の人が官邸前を埋めた。米国大統領府前で万余の人が抗議すれば,大ニュースになるはずだ。しかし日本では報道が遅く,扱いも小さかった。その理由について,その大手メディア記者はこう述べた。

 「あの抗議は労組や政党と関係のない所から出てきた。組織がないのに万単位が集まるなんて,なにが起きているのか理解できなかった。私たちは組織を取材する訓練は受けてきたが,組織のない人びとをどう取材したらいいかわからない」。

 30年前ならこの姿勢でもやっていけただろう。だが所属組織のない人びとが増えるにつれ,「支持政党なし」も増え,新聞の部数は減る一方だ。「第2の国民」にとって,新聞が重視する政党や組織の対立など「宮廷内左派」と「宮廷内右派」の争いにしかみえないからだ。これは媒体が紙かネットかの問題ではない。
 政策もまた,認識が古いために,的外れになっている。堀内京子は,官邸主導により,少子化対策として「3世代同居」優遇税制が導入された経緯を検証している(堀内京子「現実無視のイデオロギーが税制歪(ゆが)める 首相指示により『3世代同居』前面へ」(『Journalism』2016年5月号)。

 だが平山洋介によれば,3世代世帯は持ち家率が高く,住宅が広く,収入が多い(平山洋介「『三世代同居促進』の住宅政策をどう読むか」『世界』2016年4月号)。3世代世帯の出生率が高いとしても,恵まれた層の出生率が高いというだけだ。それを優遇しても,少子化対策として効果はなく,恵まれた層をさらに優遇するだけだという。

 放置された「第2の国民」の声は,どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は,日本社会の未来を左右し,政党やメディアの存亡を左右する。これは,この文章を読んでいるあなたにも無縁の話ではない。
つづく