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(じゆうみんしゅとう、英語: Liberal Democratic Party / LDP)は、日本の政党。自由民主主義の理念を掲げる政党である。つねに改革を進める自由主義の保守政党を標榜している。略称は「自民党」「自民」、英語ではLDP。1字表記の際は「自」。
1999年(平成11年)10月(小渕第2次改造内閣)から2009年(平成21年)9月の麻生内閣まで、および2012年(平成24年)12月(第2次安倍内閣)から2025年(令和7年)10月(第2次石破内閣)まで、公明党と約26年にわたる長期の自公連立政権を構成していた。代わって、2025年10月から日本維新の会と閣外協力の形で自維連立政権(高市内閣以降)を構成している。
このほか時期により新自由クラブ、日本社会党およびその後継政党の社会民主党、新党さきがけ、自由党、保守党およびその後継政党の保守新党などとも連立政権を組んでいたこともあり、戦後最も長く与党を務めている政党である。

1955年(昭和30年)に日本社会党の台頭を危惧し、かつての自由党と日本民主党が合同して結成された政党である。以来、日本社会党と約40年に及ぶ保革対立の政治構造である「55年体制」を形成した。
板垣退助の創設した自由党を源流とし、戦前の政党政治を率いた二大政党であった立憲政友会、立憲民政党を起源とする。また翼賛体制の中核を担った会派である翼賛議員同盟、翼賛政治会、大日本政治会(以上3会派は日本進歩党の前身)及び翼賛体制に批判的な会派である同交会(日本自由党の前身)、護国同志会(日本協同党の前身)、日本自由党、日本進歩党、日本協同党の流れを汲む。
党の運営は永らく執行部の権力が弱くベテラン政治家が「派閥」を形成してその派閥間での駆け引きで政治が行われることが常態化していた。これは1つの選挙区に複数候補を立てる必要のある中選挙区制が採用されていたことによるものである。
同じ選挙区の同僚議員は同じ政党でありながら当選を競い合うライバルだった。立候補者は一部を除いて党本部の応援を独占することができず、選挙区で個人の後援会を組織したり、さらには大物政治家の派閥に加わり、平時はその政局の駒となるのと引き換えに、選挙においては派閥の援助を受けた。互いに有権者の歓心を買うため、金権政治の温床ともなった。
1980年代までの日本の経済体制は、自民党主導であり「官僚主導」と評されてきた。欧米の金融資本主導の新自由主義とは異なり、日本の経済は産業資本を中心とする国家資本主義に近いものであったとされる。
日本国内では、第一野党であった日本社会党が分裂し衰退していく中で、自民党は護送船団方式による産業政策、農業への補助金交付、地方における公共事業などを通じて政府による介入と調整を行っていた。これにより、経済格差の平準化が図られた。このいわゆる「55年体制」における自民党の政策は厚い中間層を生み出し、その中間層が日本の文化力や経済力の源泉となった。
1980年代後半のバブル崩壊後、自民党が行う経済政策は大きな転換を迎えた。日本の人口減少に対して、自民党は、日本人の出生率改善による自然増ではなく、移民受け入れによる社会増によって解決すべきという立場から、技能実習制度や移民1000万人計画などの一連の移民政策を実施している。日本の外国人人口[要校閲]は、2013年以降右肩上がりで増加しており、総人口に占める外国人人口の割合(外国人割合)は、2024年現在で3%程度となっている。
典型的な包括政党であり、党内でも旧清和会などに代表される右派が大きな力を持つ一方で、番町政策研究所(旧三木派)の一部や野田聖子、河野太郎など比較的リベラル系の議員も所属する。また、民進党解党後には所属していた保守系議員が多く入党した(細野豪志など)。
戦後、長く日本の政治を支配している政党で、1993年(平成5年)に非自民政権だった細川内閣が成立するまで38年間一貫して政権与党の座にあり続け、世界的にも稀に長い一党優位政党制の中心にあった。
結党以来、政権を失い野党となったのは、1993年 - 1994年の非自民・非共産連立政権及び2009年 - 2012年の民主党政権の期間である。
党章は陰十四菊の中央に「自民」のモノグラム。広報宣伝用として「明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと」と名づけたシンボルマークを用いている。また、かつては象をシンボルマークにしていたこともある。
自民党は多数の政治家を輩出している。1990年代以降の政界再編で非自民勢力の大物政治家であっても、元をたどれば自民党出身者が多い。歴代内閣総理大臣では、日本新党の細川護熙、新生党の羽田孜、民主党の鳩山由紀夫が該当する。
その他にも小沢一郎、亀井静香、岡田克也、鈴木宗男、渡辺喜美、石原慎太郎、片山虎之助、松井一郎、馬場伸幸などがいる。自民党成立後の歴代総理大臣で自民党所属歴がないのは村山富市、菅直人、野田佳彦(ただし細川が代表を務めた日本新党出身)の3人のみである。

党名は1955年(昭和30年)11月、党結成に際して発足された「新党結成準備会」の「党名委員会」によって広く党内外から公募された。全国から
2,191通もの応募があり、多かった案から順に「日本保守党」が546通、「民主自由党」と「保守党」が同数で187通、「日本国民党」が159通であった。
最多となった「日本保守党」については「これでは選挙に不利だ」などの意見が噴出し採用されず、党内で討議された結果、自由民主主義を最も端的に象徴する「自由民主党」が党名となった。
菅直人と鳩山由紀夫が結党した旧民主党や小沢一郎の創立した自由党が登場した後は、略称の「自民党」または「自民」を使う頻度が増えていくようになった。機関紙もそれまでの『自由新報』から『自由民主』に改題した。
2009年(平成21年)の衆議院議員選挙で民主党(鳩山由紀夫代表)への政権交代が起き、1993年(平成5年)以来16年ぶりに野党となった2009年(平成21年)同年9月、谷垣禎一総裁の下での党の政権構想会議で「自由民主党」に「世論の拒否反応がある」との理由で党名変更が検討された。「和魂党」「自由新党」などの新党名が提案されたが、批判が相次いだため、党名は変更されなかった。 |
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鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と3人の首相が交代する短命内閣が続いた民主党政権下で、2012年(平成24年)12月16日、第46回衆院選で自民党は絶対安定多数を超える294議席を獲得(その後、鳩山邦夫が復党し295人)、同じく野党だった公明党とともに政権与党に返り咲いた。
総選挙10日後の12月26日、野田第3次改造内閣は総辞職、5年ぶりに安倍が首相に再登板して第2次安倍内閣が発足。3年ぶりに自公連立政権が復活した。
2012年(平成24年)12月から2020年(令和2年)9月までの安倍政権(第2次安倍内閣 - 第4次安倍第2次改造内閣)において、いわゆる「安倍一強」と呼ばれる状況が現れた。
「ある意味で、本来の議会内閣制の形が出現した」という面もあるが、首相への権力集中が進み、政策の主導権が執政府へと集中し、党内論議も低調になったとされる。首相主導体制の構築により党が政府の方針に従うことが増え、党内での政策形成がかつてほど重要ではなくなっていった、近年における自民党の変化もある。
2013年(平成25年)の第23回参院選で公明党と合わせて過半数割れを解消、2014年(平成26年)の第47回衆院選でも現有議席をほぼ維持した。
2016年(平成28年)に選挙権下限年齢が20歳から18歳に引き下げられて(18歳選挙権)初の国政選挙となった第24回参院選では、追加公認も含め56議席を獲得した(非改選と合わせて121議席)。その後、民主党を離党し無所属で活動していた平野達男が入党したことで、27年ぶりに参院単独過半数に達した。
2017年(平成29年)1月16日に、日本のこころを大切にする党(のちに日本のこころを経て自民党に合流し消滅)と参議院で統一会派「自由民主党・こころ」を結成。
18歳選挙権が施行されて初の衆院選となった2017年(平成29年)10月の第48回衆議院議員総選挙では、無所属で当選後、公示日に遡って自民党公認となった議員3人を含む284議席を獲得し圧勝。勝因の一つには、野党第一党の民進党が分裂し、希望の党と立憲民主党の2つの新党が結成され、三大政党制を目指す戦略が奏功したことなどが挙げられる。
2018年(平成30年)9月の総裁選では安倍晋三と石破茂の一騎打ちとなり、安倍が勝って連続3選を果たし、総裁3期目に突入となった。11月、日本のこころを吸収合併(同党は消滅)。それに先立ち、前月に参議院での会派名を「自由民主党・国民の声」に改称。
2019年(平成31年)4月30日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づき第125代天皇明仁が退位(譲位)し、翌2019年(令和元年)5月1日に徳仁が第126代天皇として即位した(明仁から徳仁への皇位継承)。この皇位継承に伴い「平成」から「令和」への改元が行われ、新元号「令和」を施行1ヶ月前の同年4月1日に菅義偉内閣官房長官が事前発表した。
令和時代となって初の国政選挙となった2019年(令和元年)7月の第25回参院選では、57議席を獲得したが、改選66議席には届かなかった。自民党単独での過半数は維持できなかった。
2020年(令和2年)8月28日、安倍は持病の潰瘍性大腸炎を理由に辞意を表明し、総裁選の時期や形式に関する対応は幹事長の二階俊博に一任された。2020年(令和2年)9月14日施行の総裁選において、石破茂と岸田文雄を圧倒的票数で破り、官房長官として約7年8ヶ月にわたり第2次安倍政権を支えてきた菅義偉が総裁に選出された。
そして菅が首班指名選挙で指名され、同年9月16日に菅義偉内閣が成立した。安倍の首相としての(第2次から第4次安倍内閣まで)連続在職日数は2822日を記録し、それまでの大叔父である佐藤栄作(2798日)を抜き、自民党首相として歴代最長を記録した。また、通算在職日数でも3188日と、それまでの桂太郎(2886日)を歴代の首相で最長の在任期間を記録した。

菅内閣は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策に追われることになった。菅は当初、次期総裁選への出馬に意欲を示していた。衆議院議員任期満了は2021年(令和3年)10月21日に迫っており、1976年(昭和51年)の衆院選(三木内閣)以来、戦後2度目の任期満了総選挙が行われる見通しが出てきたが、COVID-19対策や、2020年東京オリンピック、支持率の低下などで解散を行えないまま9月に入り、同月3日午前の党臨時役員会で、出馬しない意向を表明した。
2021年(令和3年)9月29日、菅の任期満了に伴う総裁選が行われ、岸田文雄が第27代自由民主党総裁に就任し、10月4日に第1次岸田内閣(自公連立政権)が成立した。岸田は第49回衆議院議員総選挙10月14日衆議院を解散した。その後特別国会が召集され日本国憲法第70条の定めに基づき内閣総辞職をしなければならないことから、この内閣は日本の憲政史上最も短い政権となった。
第49回衆院選は、10月31日投開票の結果、自民党は単独で絶対安定多数の261議席(追加公認2議席含む)を獲得し、32議席を獲得した公明党を併せ、与党全体として大勝した。一方甘利明幹事長は現職自民党幹事長として初めて小選挙区で落選(のち比例復活)した。 |
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2022年(令和4年)7月、第26回参議院議員通常選挙の選挙運動中に安倍晋三銃撃事件が発生し、86年前の1936年(昭和11年)に発生した二・二六事件(高橋是清、斎藤実)以来の首相経験者殺害事件となったが、安倍を暗殺した犯人は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の家庭の出身(宗教二世)であった。
弔い選挙となった参院選では自民党が参議院の第1党の地位を維持したが、前述の事件の背景にあった自民党及び所属議員らと統一教会の長年の関係を問題視する動きが強まるなど、政局は急変した。
さらに2023年(令和5年)11月、一部の派閥において、政治資金パーティーの収入を過少記載していた可能性があると報じられた。これを受けて、党内6派閥の内、4派閥が解散を決定またはその意向であることが発表された。
2024年 (令和6年) 9月、岸田の任期満了に伴う総裁選挙では過去最多の9人が立候補し、石破茂が第28代自由民主党総裁に就任した。
10月に第102代内閣総理大臣に指名された石破は総裁選時の方針を転換し、同月中に衆議院を解散した。石破は選挙における勝敗ラインを与党での過半数とし、前述の政治資金パーティー収入の裏金問題に関与した一部の候補者(主に安倍派・二階派を中心とした候補者)については非公認や比例重複を認めない措置を行った。
しかし、第50回衆議院議員総選挙での自由民主党の獲得議席は公示前から67議席減となる191議席にとどまり、安定多数、単独過半数を得られなかった。また、連立相手の公明党を合わせても合計議席は215議席となり、過半数の233議席に及ばない大敗を喫した。しかし、石破は自らは続投する意向を示した。
選挙後、政治資金パーティー収入の不記載問題で自民党から公認されず当選した3人を含む無所属の6人に自民党会派入りを要請した。
衆院選以降、選挙で躍進した国民民主党との政策協議を行い、自公国の3党で103万円の壁の引き上げ、ガソリンの暫定税率の廃止を決定した。しかし、2025年に入ると年収の壁問題において自公と国民民主の隔たりが大きくなっていった。
石破内閣の支持率は低迷し、政治資金パーティー収入の不記載問題が自民党都議団にも波及した。また、高額療養費制度を引き上げを巡って二転三転し、最終的に同年8月の利用者負担上限額引き上げの方針を撤回した。
さらに、石破本人に「政治とカネ」の問題が発覚し、石破に対する批判が与野党双方から強まった。その一方で、日本維新の会と教育無償化や社会保険料の負担軽減策について同年2月に合意し、同年の新年度予算案は自公維の賛成で可決された。
6月の東京都議会議員選挙では過去最低の18議席に留自民党系無所属3人の追加公認を含めても21議席で過去最低となり、都議会第一党を都民ファーストの会に明け渡した。7月の第27回参議院議員通常選挙では、勝敗ラインを非改選議席とあわせて与党で過半数としたが、参政党の急伸もあり、改選前から13議席減の39議席の大敗を喫し、党幹部や大物議員が数多く落選した。
比例においては議席数、得票率ともに過去最低だった。これで非改選を合わせて過半数を割り込み、結党以来初めて自民党を中心とした政権が衆参両院でともに過半数を割り込むこととなった。しかし、石破は自らは続投する意向を示した。
ロッキード事件
リクルート事件
共和汚職事件
東京佐川急便事件
ゼネコン汚職事件
KSD事件
泉井事件
鈴木宗男事件
日歯連事件 |
日歯連闇献金事件
西松建設事件
徳洲会事件
森友学園問題
河井夫妻選挙違反事件
安倍晋三銃撃事件
岸田文雄襲撃事件
政治資金パーティー収入の裏金問題 |
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参院選後、党内では石破の辞任や総裁選挙の前倒し実施を求める声が相次いだ。結果、両院議員総会で総裁選挙については総裁選挙管理委員会に対応を一任することを決定し、総裁選挙管理委員会は臨時総裁選の実施の是非を問うための手続きを開始した。
総裁選の前倒しについては、麻生派・旧安倍派・旧茂木派・旧二階派などの非主流派や若手・中堅議員を中心に賛成の意見が相次いだ。9月2日の両院議員総会で森山幹事長は辞意を表明し、他の党四役も相次いで辞意を表明したが、石破は森山らの辞意表明に対し慰留する意思を示した。
臨時総裁選実施の是非を巡って党内部は二分されたが、徐々に石破内閣の閣内からも賛同者が相次ぐなど臨時総裁選実施を求める勢力の勢いが強まった。また、石破は解散も視野に入れていたが、公明党の斉藤代表から解散に反対を伝えられた。
9月6日夜に石破は菅副総裁と小泉農水相に退陣を促され、翌7日夕方、自民党総裁の辞意を表明した。よって、8日に予定されていた総裁選前倒しの意思確認手続きは取りやめとなった。
10月4日に開票された自由民主党総裁選挙では、得票数1位の高市早苗と2位の小泉進次郎による決選投票の末、高市が自由民主党総裁に選出され、同党初の女性総裁となった。高市は、派閥の裏金問題に関わった議員についても再処分をする考えせず、登用する考えを示した。
公明党の斉藤鉄夫代表は4日、高市と会談し、「靖国神社参拝問題・歴史認識問題」「外国人排斥問題」「政治とカネの問題」の3点に懸念を示した。
会談後、斉藤は連立離脱を示唆し、タカ派の高市が総裁に就任したことによる自民党の右傾化を牽制した。その後、自民党の新執行部発足に伴う7日の会談でも「政治とカネ」についてのみまとまらず、連立合意は持ち越しとなった。
公明党内では連立離脱を求める声があがる事態となり、10日に行われた自公両党の党首会談の末、「政治とカネ」を巡って決裂し、斉藤は連立離脱の方針を高市に通告し、26年間に渡る自公連立は幕を閉じた。
10月14日、両院議員総会・懇談会を開催し、高市が公明党との連立解消に至った経緯を説明した。
同月15日、高市は立憲民主党代表の野田佳彦、国民民主党代表の玉木雄一郎、日本維新の会代表の吉村洋文・共同代表の藤田文武とそれぞれ党首会談。このうち、維新と連立に向けた政策協議を翌16日から開始することで合意。代表の吉村は維新が掲げる「副首都構想」などの政策実現を条件に自民と一致できれば、首相指名選挙で維新が高市に投票すると明らかにした。
同月16日、日本維新の会との連立政権樹立に向けた協議を開始。維新側は条件として「副首都構想の実現」「食料品の消費税の2年間ゼロ」「企業・団体献金の廃止」など12項目の政策の実現を要求。一方、自民は維新から閣僚を出す形での閣内協力(フルスペック型の連立)を提案した。
また維新との協議前には、参政党代表の神谷宗幣と党首会談し、高市は参政党に対し首班指名選挙での協力を要請した。また、所属議員が参議院の1人のみとなっていたNHKから国民を守る党の齊藤健一郎が同月15日付で自民党会派に入会し、参議院の会派名を「自由民主党・無所属の会」に改めた。さらに衆議院会派の有志・改革の会などにも協力を要請しており、これらの動きは高市の首相指名に際して少数政党と連携し協力を要請する動きと見られている。
なお、有志・改革の会はこの対応を巡って意見がまとまらず、再び有志の会(所属4人のうち3人が首相指名選挙で高市以外に、1人が高市に投票)と改革の会(所属3人いずれも首相指名選挙で高市に投票)に分裂している。
なお、約1か月後の同年11月11日に齊藤が(NHK党党首の立花孝志(非国会議員)が名誉毀損容疑で兵庫県警に逮捕された事態を受けて)会派を離脱したため、再び参議院会派は「自由民主党」に戻っている。
そのような流れで、自民党と日本維新の会は維新が求めていた食料品の消費税率0%への引き下げと企業・団体献金の廃止について、自民が実現に向け努力する方針を示すことや維新が主張する議員定数の1割削減についても衆議院比例区を対象とする方向で事実上の合意に達し当面は閣僚を出さずに閣外協力に留めるとした。
一方、立憲民主党や国民民主党などを中心とした野党は統一候補の擁立が難航し、維新が離脱して自民との連立に向かう方針となったため、国民民主党代表の玉木雄一郎を首班指名の野党統一候補とする計画は霧散霧消に終わり、各党はそれぞれ自党候補への投票が濃厚となった。
こうして同月21日に予定される内閣総理大臣指名選挙において高市が日本の憲政史上初の女性首相に選出されることが確実な情勢となったと報じられた。
同月20日、高市は日本維新の会代表の吉村洋文と電話会談。吉村が両党の連立交渉について「連立政権樹立に合意した」と表明。同日、総裁の高市と日本維新の会代表の吉村洋文・共同代表の藤田文武は連立政権を締結する文書に調印し、正式合意した。当面の間は閣外協力に落ち付き、維新側から調整要員として国会対策委員長の遠藤敬を内閣総理大臣補佐官として起用することとなった。
同月21日、第2次石破内閣は総辞職。国会での内閣総理大臣指名選挙において、衆参両院で高市が内閣総理大臣に指名された。これにより高市は第104代内閣総理大臣に就任し、日本史上初の女性首相が誕生。
高市内閣(自維連立政権)が発足した。国務大臣、副大臣、大臣政務官の政務三役いずれも自民党所属国会議員が就き、特に国土交通大臣は2012年の政権奪回以降は公明党に譲り渡してきたため、2009年の下野による民主党への政権交代以来約16年ぶりに自民党が国交相ポストを獲得した。
11月28日、日本維新の会を離党した斉木武志、阿部弘樹、守島正が国会内で鈴木俊一幹事長と面会し、自民会派に加わる意向を伝えた。鈴木も受け入れる考えを示し、会派入りで正式に合意した。3人の加入により、自民党は再び衆議院で過半数に達した。
2026年2月8日、第51回衆議院議員総選挙で他党を圧倒的な差で突き放し、自民党は316議席を獲得する歴史的大勝利。衆議院の全議席の3分の2にあたる310を超えた。参議院で否決された法案を衆議院で再可決できるほか、衆議院で憲法改正の発議に必要な議席を確保。1986年に中曽根政権下の衆参同日選で獲得した300を超え、結党以来最多の議席数を獲得した。
なお、衆議院で一つの政党が3分の2以上を獲得するのは戦後初。今回、小選挙区では、31都県で全勝。とくに東京・神奈川・千葉・埼玉の首都圏の80選挙区では、千葉の1選挙区を除いた79勝。比例票は約2102万票を獲得し、前回より644万票ほど増加。2005年の小泉政権による郵政解散後の第44回衆議院議員総選挙の2589万票に次ぐ高水準。
比例の4ブロックで得た14議席分(南関東6、東京5、北陸信越2、中国1)は名簿に載せた候補者が足りず、他党に配分される事態が相次いだ(つまり本来ならば最大で330議席まで到達していたことになる)。 |
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自由民主党本部
住所:東京都千代田区永田町1丁目11-23 (最寄り駅:永田町駅 徒歩1分) |
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